2010年1月16日土曜日

ファイナルファンタジー13とゲーム業界の今後

(出所:スクウェア・エニックス)

Matrixの話は少し休みにして、今日は掲題の話題について。
どうでもいい話だが、ファイナルファンタジー13をやっとクリアした。長かった・・・。

(以下、ネタバレ注意)


○うーん、微妙な出来、、、

ファイナルファンタジー7、10のスタッフによるプロデュースだったので期待していたのだが、結論から言うと、うーん微妙、と言う感じだった。外人受けしそうなバトルシステムや映像はとにかく美麗で派手な事を考えると、3月の海外発売はある程度売れるかも知れないが、その後のアギトとかヴェルサスが不安である。筆者的には、更に続編でこの世界を追体験したいと言う気持ちにはなれなかった。比較的客観的に評価をすると、例えてみれば、

「上映前のコマーシャルの時は派手なアクションシーンや意味深な恋愛シーン、哲学的なほのめかし等のカットが素敵な音楽と共に続々出ていてもの凄い面白い映画のように見せておいて、実際映画館で観たら微妙感のあるハリウッド映画」

と言うような感じだった。

昨今ソーシャルゲームが株式市場では評価されていてドラクエやFFのような大作系は駄目、と言う評価がコンセンサスになりつつある。一方でファイナルファンタジー13シリーズで同じマップ・画像を使い回してアギトやヴェルサスを低予算で作れてこれが大ヒットすればコンセンサスが一時的にせよ覆るかも知れないな、と言うような仮説(と言う程のものでもなく、思いつきだが)を考えてみたりもした。しかし今後を考えると、少し考えさせられてしまった(注1)。


○映像、音楽は良かった、ゲームシステムも賛否あるが悪くは無かった。

・映像:文句無し。ムービーも美麗、移動中のマップも息を飲む程で、河や海等の水、森、空、機械等の描写が非常に良い。11章のグランパルスの平原では、シンボルエンカウントの特性を上手く活用して、「大平原を恐竜みたいなモンスターが闊歩する中、主人公達が走る」と言う絵を実現した。シンボルエンカウントなのはこれがやりたかったのか、と。時折立ち止まって背景鑑賞をした位。

・音楽:これも非常に良かった。浜渦氏は良い仕事をしたと思う。氏からすれば、ビッグタイトルを初めて独りでテーマソングまで作ると言う事で、相当気合いが入ったに違いない。サウンドトラックも買っても良いと思える出来。

・ゲームシステム:賛否あると思うが、筆者の判断としては大きな問題はなし。アクティブタイムバトルでオプティマをどんどん入れ替えるやり方は賛否両論あるんだろうが、普段ゲームをやらない筆者でも十分ついて行けるものであったしそれなりに楽しめた。チュートリアルも丁寧で自然とゲームシステムにも慣れられた。装備がシンプル過ぎるとかレベルが無いとか、買い物が街が無くてセーブポイントのネット通販で買うだけと言うのも批判もあるのは理解出来るが、ゲームの善し悪しに決定的な影響を与える程でも無かった。


○問題はストーリー

本作で一番問題だったのがストーリーである。はっきり言ってしまえばファイナルファンタジー10の方がずっと良かった。問題点は大きく二つあったと思う。

1、群像劇を無理矢理限られたストーリーの中で押し込もうとした点。
2、世界観の作り込みや世界の終わりの始まりの13日を過去に向けて回想すると言う小手先の構成で凝ろうとし過ぎた点。

この2点が根本的な問題だろうと思う。


○群像劇を無理矢理限られたストーリーの中で押し込もうとした点が失敗。

FF13で一番まずかったのがこれだろうと思う。群像劇とは、小説や映画内で主人公の視点が一人称あるいは三人称単一でなく、複数人物の視点が話の中で切り替えられながら描かれるものを指す。群像劇の映画でも、例えばマグノリアは面白かったりするので、群像劇自体が駄目と言う事では無い。

しかし、群像劇の醍醐味は、全く関係なかったかのように見える登場人物が徐々に絡み合って行き最終的には一本の糸で繋がる、この中で各登場人物が抱えていた問題や悩み等が解決する、と言った所にある。これが上手く行かないでどの人物の視点も中途半端になってしまうと、散漫な映画として終わってしまう。群像劇は結構難易度の高い分野だと思うが、今回見事に失敗してしまった感がある。


・序盤が長過ぎる。

群像劇の失敗により、序盤/中盤/クライマックスのバランスを完全に失している。
何しろ序盤が長過ぎる。1〜10章が殆どチュートリアルで、キャラクターが何度も入れ替わりながら群像劇の序盤戦が繰り広げられる状態なのだが、序盤戦が長過ぎてこの時点で飽きが来てしまい、続けるのに結構苦労した。1〜10章を10時間分位にして、11章以降を40時間分、計50時間でクリア、位で丁度良かったのではなかろうか。

・キャラクターの描き込みが不足している。

更には、群像劇の失敗のせいで、どのキャラクターについても描き込みが圧倒的に不足している。
ファイナルファンタジー10と比較して一番貧弱なのがこの点である。

FF10もFF13もかなり「クサい」と言う点では一致している。しかしFF10の場合はクサいなりに丁寧に、恋愛なり友情なりの描き込みがされていて感情移入がし易かった一方で、FF13ではこの点が貧弱で、予算はかかっているけど微妙感のあるハリウッド映画みたいになってしまった。

FF10の場合、例えば主人公のティーダとヒロインのユウナの恋愛感情が比較的丁寧に描かれている。

「偉人である父親の娘」と言う扱いを受け中々周囲に弱い所をみせたり心を開いたりが難しいユウナと、「夢のザナルカンド」から来たよそ者なので「偉人の娘」としてでなくてあくまで同年代の少し気になる異性の知人/友人としてユウナと接していたティーダ。こう言う状況の中でユウナもよそ者であるティーダには愚痴や不安も言いやすいし、ティーダも偉い人の娘と言われてもピンと来ないので同年代の仲間として相談に乗る、と言う形で二人の距離感が自然と徐々に近づいて行く。こう言う過程がストーリーの中できちんと描写されていた。だからこそ中盤の悪役とユウナの結婚式・キスシーンをゲームをする側もティーダと一緒にむかっと出来たし、後半の水中キスシーンの演出も効果的だった。

その他、ワッカやルールー等の脇役の感情描写も比較的丁寧になされていた。他にも筆者位の年代の中年の名傍役としてのアーロンの描写は秀逸であったし、ティーダの父親の辺りも、ティーダの幼少時を描いたり、スフィア集めをするとティーダの父親がアーロンやユウナの父親とどう言う旅をしていたのかが分かるようになっていた。ゲームの遊び要素としても楽しかったし、物語を豊かにするサブエピソードとしても中々良かった。


一方で、FF13の場合、まずはライトニングとスノウの冒険の動機付けの中核となっているセラの描写が貧弱だった点が、感情移入出来ずに話中の登場人物とゲームをする側の距離感を作ってしまっている。これが一番決定的である。

例えばスノウとセラがなぜ両思いなのかの描写が殆どない。花火のシーン、海べりのシーン等、既に結婚するぞと決まっていた辺りの描写が断片的にあるだけで、セラがどう言う性格でどう言う生活をしていたから一見単純バカなスノウに惹かれて、スノウはなぜセラが好きなのか。この辺の描写がすっぽり抜け落ちている。このせいで、セラがルシになった事が分かるとかクリスタルになってしまうとかのシーンも鑑賞者がそのショックさ加減をイマイチ共有出来ず、感情移入しづらくなってしまっている。FF10のように、話の序盤から少しづつ、ゲームをする側が入りやすい形でスノウとセラの恋愛を描写をする必要があった。

スノウの性格についても、孤児だった一方で性格は真っ直ぐ無邪気なと言うかやや単純バカの振る舞いだが、どう言う過程でそうなったかの描き込みが全くない。孤児で辛かった時期のエピソードだとか、ノラ結成を通じて仲間が出来て行ってそれが心の隙間を埋めるやりがいになっていった、辛い事を考えないためにも前向きに振る舞うようになった、等のエピソードの描き込みがあれば、もっとキャラ造形に深みが出ただろう。

ホープについてはエヴァンゲリオンの碇シンジ的ツイストキャラで、母親の死についてスノウに逆恨みしていたのが、挫折やライトニングとの出会いを通じて強くなりだんだん真っ直ぐに成長して行く、この辺がテーマだったんだろう。しかしこの成長過程の描写も中途半端に終わってしまっている。話の後半から、唐突に「超爽やか前向き発言」をするような感じになってしまっているが、ゲームをする側は唐突過ぎてついて行けない。また、同年代で励ましてくれていたヴァニラや、無愛想だったが中盤で身代わりになって助けてくれたライトニングとの絡みも希薄になってしまっている。特に同年代のホープとヴァニラについては、もう少し相互にやりとりがあって淡い恋心位抱く感じで、エンディングではヴァニラの結果にショックを受けつつも愛を経て少年が大人になった後日談、位の描写があっても良かった。

ライトニングについては、一応主人公と言う事だったが、キャラクター造形が希薄で、やはり内面描写の描き込みが不足している。真実に目を向ける事が出来ず戦いに逃げる、飼われていたと言う真実を知って愕然とすると言うのは、社会人が仕事中毒になったりその後リストラされたりする時の心情と似ていて、悲哀もぼちぼち漂って来るオッサンである筆者には分からなくもない描写だった。しかし、セラとの関係、なぜスノウの事を気に入らなかったのか、なぜ寡黙で強い性格に見える一方で弱い一面があるのか、ライトニング自身の恋愛感情はないのか、等の描写が全く不足している。妹のセラと姉のライトニングの性格がかなり正反対のようにも見えるので、この辺は特に、ライトニングとセラの生活や幼年時代に遡って両親との生活も描く等してもっと描き込みが必要だっただろう。また、絶望から前向きに変わる局面や、スノウを前向きに評価していく過程の描写もやや唐突な感があった。

またライトニングに関しては、美形女性主人公にも関わらず、恋愛関連が全く無かったのもエンタテイメント作品として良くないだろう。サッズやスノウと恋愛と言うのも微妙な感じはするが、例えばスノウとは旅を続ける中で嫌悪感から尊敬と淡い恋心に変わって来て、セラとの思いの間で葛藤するが最終的にはセラとスノウの結婚に納得する等の話があれば、ライトニングももうちょっと人間臭いキャラクターになっただろう。あるいはホープが14歳位でライトニングが確か20歳過ぎ位の設定なので、話中で恋愛になると言うのはちょっと考えづらいとは言え、例えば話の中で弱々しかったホープが段々立派になって来て、意外な所でライトニングがホープに助けられたとか励まされたとかのエピソードを入れて行って、エンディングの後日談で5−10年後位にホープとライトニングが一緒になると言うような流れにするのもありだろう。

ファングとヴァニラがなぜ女同士とは言え愛情に近い雰囲気なのか等もいまいちその過程が描写不足で、唐突な感があった。

物語の中では、サッズのキャラクター描写が比較的人間的だったかも知れないが、もうちょっとヴァニラ以外のキャラクターとも絡みがあっても良かったとも思う。例えば年長者としてスノウ、ライトニング、ホープらの苦悩を汲み取って思いやる等で中年の味を引き出すとか。


・魅力的なアンチヒーロー、悪役が居ない。

前回のMatrixの話で神話論の紹介をした所でも説明したが、物語は主人公の成長物語だけが全てではない。スターウォーズのダースベイダー、機動戦士ガンダムのシャア・アズナブル的な、神話論の下方サイクルを受け持つ魅力的なアンチヒーローは、人間の本質により接近し、物語をより面白くするのに不可欠である。

FF10ではシーモア辺りが上記の役割を担っていた。幼少時代のトラウマ等も描いて、なぜアンチヒーローになってしまったのかと言う描写をきちんとしていて、「悪い奴なんだけど、同情出来るし仕方無い面もある」と言う風に持って行っていた事が、物語をより豊かにしていた。

しかし、FF13の場合これが欠けていた。ロッシュ中佐辺りがこの位置づけのはずだったのだろうが、これまた心情描写等が欠けているため、いまいちロッシュ中佐の信念がどこから出て来たか等が感情移入出来ない。



○世界観の作り込みや世界の終わりの始まりの13日を過去に向けて回想すると言う小手先の構成で凝ろうとし過ぎた点も問題だった。

・世界の作り込み自体は悪い事では無いが、、、
世界観の構成、例えばコクーンの人類は、一般人は気づいては居ないがファルシに実は「生け贄になるために飼われて」いると言った「世界って実は全然一般の人が思っているのと違うんですよ的な話」、あるいはストーリーが過去の回想で進む点等、FF10と共通点が多かった。用語、政治、社会システム等相当細かい所まで作り込んでいて、この辺の世界観の作り込み自体は悪くないとは思う。しかし、案外FF10の焼き直しですよと言うのは、うーんどうなんでしょう、と言う気もしなくもない。

また、FF10の場合、ティーダが言ってみれば異邦人、外国人として世界を旅するような形だったため、その世界独特の挨拶の仕方、用語、慣習等をゲームをする側は主人公のティーダと一緒に学んで行く事が出来た。このため主人公の気持ちになって、初めて海外旅行をした時のような新鮮な気持ちにユーザを導く事に成功していた。この点もFF10は上手かった。主人公の視点とゲームをやる側のユーザの視点を円滑にフィットさせる事に成功していて、感情移入がし易い事に貢献していた。

一方でFF13の場合、世界観の作り込みや、13日目のパージ列車のシーンからスタートする事を重視し過ぎたせいで、特に序盤で、パルスのファルシでコクーンの人々がパージされて云々、と言った台詞が次々出て来てしまい登場人物は勝手に納得している一方で、ゲームをやる側がおいてけぼりになってしまう感があった。これはどうかと思う。物語の伏線だから思わせぶりでぱっと理解出来ないようになっている、と言った演出なら良いが、単に用語の意味の問題等で読者や鑑賞者が置いてけぼりにされると言うのは、小説や映画ではよろしくない。例えば物語のスタート時の話者の視点を、コクーン市民ではなく長い間クリスタルだったので時間的にも空白が空いてしまっているヴァニラか、あるいは記憶も無くしていたファングの視点にして、コクーンと言う世界をユーザと同様の「よそ者」の視点で眺めて行き、他のコクーン市民の登場人物が「オイオイ、そんな事も知らないのかよ?変わった奴だなあ」とか言いながら解説していく、と言うスタイルを取る等、やりようは幾らでもあっただろう。パージ列車の映像のインパクトで掴みを取ろうとし過ぎたように思う。


・閑話休題、笑いや遊びの部分が少ない。
例えば良質のミュージカルなんかだと、相当深刻なストーリーのものでも、所々に笑いの要素を入れたり、登場人物の性格がにじみ出るような閑話休題的エピソードが入っていたりする。これによって深刻な所も一層引き立つし、登場人物にも人間臭さが出て来るものである。

FF10や他の良作だと、例えば町の散策や町の人々との会話、あるいはちょっとした閑話休題的なサブイベントの中にこう言った要素を織り交ぜて行く事で、ゲームをやる側はテンポの緩急を楽しむ事が出来たように思う。

しかし、FF13の場合、凝った世界観のもと、計算し過ぎた過去回想ストーリーをこなすのに一杯一杯と言う感じで、こう言う閑話休題が殆ど無かった。この点がゲーム展開を単調(常にシリアスな感じで、ダンジョン→バトル→映像→ダンジョン→以下繰り返し)なものにして、ユーザ側の負担感が増える要因になってしまっていたように思う。


○そんな訳で
・・・う〜ん、と言う感じであった。
ゲームはやっぱり大作主義は終焉で、ソーシャルゲーム関連なんでしょうか。どうなんでしょうなぁ・・・(注1)。


(以下注釈)

注1)例により、投資判断や評価を提供している訳ではございません。投資判断は自己責任でお願いします。

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