2010年2月19日金曜日

「資本主義Matrix」を超えて:マネーとの適切な付き合い方 続き

(出所:http://www.istockphoto.com/)

マネーとの適切な付き合い方の続きである。

前回までで、「適切な自己評価を持つ事の重要性」「負の感情で突き進み続ける事の問題点」について述べた。

また、秒速5センチメートルの映画を題材に、過去の心の古傷やコンプレックス、自分を突き動かしている衝動の下地にある思考特性等をきちんと把握する事、またその把握には場合に応じてコーチングのコーチや心理カウンセラー等も活用しながら行うと良い事等を伝えた。

今回は、更に続きを紹介したい。


○他人と比較する事をやめる。

これは、「適切な自己評価を持つ事の重要性」「負の感情で突き進み続ける事の問題点」を別の言葉で言い換えたに過ぎないが、重要な事なので紹介しておく。

自己評価の低い人、(幾ら金持ちであっても)妙に卑屈な人等の特徴として、見栄と虚栄心が強く、他人と比較して自分が(偏差値、収入、会社が一流かどうかの社格等の極めて画一的な指標の中で)上で立たないと気が済まないと言う点が挙げられる。そうしないと、自己評価の低さを埋める事が出来ない、自分に価値があると感じる事が出来ないのである。

こう言う人物は、自分が上に立つために、何が何でも負の感情で突き進み続ける。また、自分より上の人間が出て来ると、嫉妬するか、利用出来るようならへりくだってでも関係を持ち、「こんな大物と付き合いがある」と言う事をこれまた下々に自慢したりする。こう言う人間は、幾ら品があるように振る舞っていても、発想や思考の貧困さ、人間としての未熟さはどうにも隠しようがない。

こう言う人が大量に生産されている要因として、日本の教育や親の子育ての在り方の問題が挙げられる。つまり、教師や親自体が、適切な自己評価が出来ておらず、常に他人と比べて上か下か、偏差値が上かしたか、一流企業に勤めているかそうでないか、年収が高いか低いかと言った貧しい価値観に囚われており、「資本主義Matrix」に、金持ちか否かに関係なく完全にハマってしまっていると言う事である。

結果として、教師(あるいは全体としての教育界自体)は、勉強のできる出来ないでしか子供の才能を把握しようとしない。親は、子供が高学歴になり一流企業に入って貰う事にしか興味がない。精神的に未熟な大人の施す教育は、精神的に未熟な教育となる。「子供が社会に出て苦労しないため」「愛情だ」などと言う建前を振りかざしているが、結局の所、他人に「自分の教え子/子供はこんなに優秀で素晴らしい」と自慢したい、あるいは自分が満たせなかった見栄と虚栄心を子供を使って満たしたいと言う自己中心的で未熟な感性の発露に過ぎない事が多いものである(注1)。

こう言う状況の結果として、他人と比較しないと気が済まない、画一的な価値観で他人と比較した中での上下を意識しないと気が済まない、と言った、何とも貧困で息苦しい価値観が横行する事になる(注2)。

「資本主義Matrix」で紹介したような不幸な循環に巻き込まれないようにするためには、こう言う貧しい発想、他人と比較しないと気が済まないと言う発想から脱出する必要がある。

人生は人それぞれであるし、幸せの形も人それぞれである。衣食住等の基本的な生活を満たすのには勿論ある程度のお金は必要だが、何度も紹介している通り、多ければ幸せになる訳でもない。

他人と比較するのを止めるためには、やはり「適切な自己評価」をキチンと持つ事が重要である。他人と比較されるまでもなく、自分には生まれもって一定の価値がある、と言うベースがありさえすれば、自然と他人と比較する事はなくなるのである。

そして、他人と比較する事を止めさえすれば、「資本主義Matrix」の不幸な循環にハマる事も無くなる。他人と比較しなければ、当初の「自分は何て惨めなんだ」と言う負の感情も発生せずに「自分は自分」とマイペースで行けるし、負の感情をベースに突っ走る事もないし、成功した場合に周囲がバカだなあと思うと言った奢りも自然と発生しないし、奢りが発生しないと各種歪みや不幸への転落と言った事象も起きないからである(注3)。

また、上記のような日本の教育、親の子育てに関する状況があり、各自がこう言う影響にさらされている/いた可能性がかなりの程度ある、と言う事を客観的に把握しておく事も重要である。物事の背後にある構造さえ分かってしまえば、なーんだと言う事になる。資本主義Matrixの不幸な循環にハマってしまう事を避ける事も出来るだろう。


(以下注釈)

(注1)教育の部分では思う所があるので、以下に多少長く注釈を付けておく。

子供が社会に出て苦労しないようにしたいなら、挨拶、周囲への思いやりと感謝の気持ちを持つ、スポーツなり芸術なりの活動を通じての「逆境でも諦めないで淡々とやり過ごしてやるべき事をやり、良くなる状況を待てるような粘り強い心」の習得、適度な運動の習慣や適切な食生活の習慣付けと言った健康のために重要な習慣の定着、読み書きそろばんと基本的な思考能力、信用出来る人と出来ない人を直観的に判別して信用ならない人と距離を置ける能力、と言った人として基本的な部分を教える事が第一である。投資運用の商売をやっていても実感するが、これさえあれば社会に出て苦労はしない。

また、上記以外に、子供が将来食い扶持に困らないように何かもう少し具体的な技能を身に付けさせたいと言う事であれば、別に猫もしゃくしも一流大学にやる必要はない。子供が勉強が好きなら勉強でも良いが、興味を持てるような専門職的・職人的な技能等の習得でも十分である。何かの分野で抜きん出るポイントは、自分がやりたいと思う事、興味の持てる事に集中する事である。

しかし大人の側が精神的に未熟な事が多く、金持ちもそうでない人間も多くが、自己評価の低さを抱えて、「資本主義Matrix」に巻き込まれてしまっていて、一流大学、一流企業、高学歴高年収でないといけない、成功しないといけない、と言った観念に取り憑かれている場合が多いのである。「画一的競争教育」とでも言おうか、そう言ったものに取り憑かれてしまっているのである。

あるいは上記の「画一的競争教育」の反動で、「ゆとり教育」のように、「社会に出て苦労しないための基本的な教育」すら怠ってしまうような状況も見られる。画一的に学校の勉強のできる出来ないだけで子供を判断し、勉強が出来ないとそれだけで子供を落伍者のような扱いにするシステムも十分問題があるが、徒競走で皆1位ですよなんて話も、気色悪い事この上ないし、それはそれで有り得ない。

どちらにせよ大人の側が精神的に未熟であるため、本質から全くずれてしまっているのである。こう言った教育の結果として、適切な自己評価を持つ事の出来ない子供・大人が再生産されている面がある。この点が今日の日本の問題点のようにさえ思う。

ポイントとしては、徒競走でビリになったり、勉強も得意不得意が出たりする中で、じゃあ自分に出来る事は何か、興味が持てて得意な事は何かと言うのを、(偏差値の高い低いとか一流大学・一流企業に行けるか行けないかとか年収が高くなるかそうでないかとか言った了見の狭い価値観ではなく)幅広い分野の中から見つけられる環境、そして興味が持てて得意な事をのびのびとどんどん伸ばせる環境が大切である。

企業で言えば、要するにニッチ戦略である。多くの人間が、自分の得意なニッチ分野に特化して一定のポジションを得る事を推奨する教育戦略である。これはグローバル競争における日本の地位維持向上とも矛盾しない。

勿論、勉強とか、一流大学・一流企業と言ったど真ん中を激しい競争をかいくぐってやって行ける人間はそうすればいい。企業で言えばSamsungだのパナソニックだのトヨタだホンダだのになれる人間はそうなればいい。こう言う意味では日本にも、例えば欧米のボーディングスクールのような「強烈なエリートを育成する教育」があっても良いように思う。筆者の周囲でも、小学校の頃に既に中学や高校位までの数学が出来てしまって、子供の頃学校の授業が退屈だったと言うような人は少なからず居る。日本の教育ではこう言う才能を埋もれさせてしまう。また周囲の「自己評価の低い未熟な大人」もこう言う子供を嫉妬半分うらやみ半分で無駄に褒めそやす一方で、勉強さえ出来れば良いとばかりに挨拶や周囲への感謝と思いやりと言った社会人として基本的な所の重要性についての教育を忘れてしまったりするので、子供が将来「社会に出て困らないようにする」と言う所をきちんと出来ていなかったりする。才能のある子供からすると、迷惑な事である。


一方で、皆に「ど真ん中大企業になれ」と強いる事は無理がある。リソース・才能に限界や制約もある。こう言う場合はニッチ戦略である。

音楽や料理や詩吟、あるいは「場に居るだけで何となく仲間の結束が高まる、場が朗らかな良い雰囲気になる」等の部分で才能がある子供に勉強ばかり強いて、お前は勉強が出来ないからダメだ等と言っていては子供の「自然な自己評価の獲得」の面でも良くない。マクロの資源配分的にも効率的でもない。更に言えば、発想が貧困で未熟な大人には「場に居るだけで何となく仲間の結束が高まる、場が朗らかな良い雰囲気になる」と言った、「どの勉強科目にも属さない事柄」が「才能だ」と認識するキャパシティすら無い事も多い。

音楽が出来る子供には音楽で、料理は料理で、詩吟は詩や文学の分野で、「場に居るだけで何となく仲間の結束が高まる、場が朗らかな良い雰囲気になる」ならコーチや経営者、カウンセラーもいいし、あるいは職場の秘書、グループセクレタリ等も行けるだろう(こう言う人が職場に一人居るとそれだけで会社が良い回転/雰囲気になり非常に助かる。経営者を見るときも、秘書がこう言う才能のある人物か、ただ美人なだけの姉ちゃんかと言うのは要チェック項目である)。こう言う、各自のニッチ分野で自己表現出来るような環境が重要だと言う事である。

(注2)こう言う感性に付け込んで、幾多の「成功本」の類いが本屋で棚を埋める事になる。(そして過半に見るべき内容のものは無い訳である。)

(注3)こんなマイペースじゃ成功出来ないし、こんなマイペースの人ばかりに日本人がなったら国際競争力を無くし、グローバル資本主義の中でやっていけなくなるんじゃないかと思われるかも知れないが、必ずしもそうも言えないように思う。

例えばプロ野球のイチロー選手等は、こう言う境地に至って成功し続けているタイプのようにも思われる。他人と比較してそれに勝つ事をモチベーションにしていたら、イチロー選手はもうとっくに比較する競争相手も居ない位の高みに居るので、記録を出すモチベーションが続いて居ないだろう。イチロー選手に関する書籍等を見てみても、試行錯誤の末に「長打を打つために無理にアメリカ人のような体型、筋肉マッチョになろうとしない」と言った方針で行く事にしている等、「自分らしさ」を追求した結果、今のようなプレースタイルになっているようにも見受けられる。

他人と比較して勝った負けたと言う状況から抜け出して初めて、「突き抜けた才能の開花」「他人との競争を意識している訳では無いが、結果として世界で通用するプレーヤーになれると言った状況が実現する」と言う面があるようにも思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿