2010年5月6日木曜日

海べりのカフェバーにて

桜が咲いたかと思えば気づいたら散り、5月に入ると季節は急速に夏の気配を感じさせる。

日本の気候はとても繊細だと思う。4月の桜の時期は花見で皆昼から、あるいは夜桜を楽しんだりで外で酒を飲んだりするが心持ち肌寒い。しかし4月の終わりから5月に入ると急に暖かくなり、例えば朝出かける時の空気の匂いや、昼間の汗ばむ陽射しに夏の気配を感じさせる。6月に入ってしまうとまた雨続きで夏の気配も遠ざかってしまうのだが、彼は(注1)5月のこの一瞬の「微かな夏の兆し」を、夏そのものと同様か、あるいはそれ以上に気に入っていた(注2)。バスペールエールをグラスで頂けますか。彼はグラスビールを注文した。

開け放たれているカフェバーの扉を、観葉植物の小さなヤシの木の鉢が押さえている。南国の砂浜に生えているもののミニチュア版のようなかわいらしい姿のそのヤシの木の葉は、潮風に穏やかに吹かれて微かに揺れていた。潮風を開け放たれた扉がカフェバーの中に心地よく送り込み、店員も、お客達も、彼自身もそれぞれにくつろいでいた。扉は眩い陽光を四角に縁取っていて、薄暗いカフェバーからはひときわ外の陽光が眩しく感じられる。その向こうには砂浜と海が広がっている。砂浜にはヨガを行う、ヨガの服装をした先生とそれに従う二人の生徒らしき姿があり、潮風に合わせるようにゆっくりと丁寧に一つ一つの動作をしているのが見える。海にはサーフィンをする人影がちらほらあり、沖にはヨットやウインドサーフィンを楽しむ人達が見えた。昼間から飲むビールはキンキンに冷えていて、グラスは涼しげな汗をかいていた。これら全てが、彼の好きな「微かな夏の兆し」を感じさせ、彼の表情からは自然と笑みがこぼれた(注3)。彼自身はそれに気づいていない様子で、残りのビールをぐいと飲み干すと、ブルーキュラソーはあるかと店員に尋ね、あるとの答えを待ってからブルーマルガリータを注文した(注4)。


(以下注)

(注1)主語の人称を「私は」「僕は」と言った一人称にするか、「彼は」「彼女は」「xxは」と言った三人称にするか、悩む所である。人称の扱い一つ取っても、結構エフェクトのかかり方が変わるように思う(つまり映画のカメラで言えば、主人公の視点で撮影しているか、俯瞰的な所からのカットになっているかの違いのような影響をもたらす)。しかし言葉をこんなに意識して使うのはいつぶりだろう。金融の世界でレポート等で文章を書いていると、どうしても文体が(あるいは左脳で言語によって行う類いの思考が)「容赦ない」「暖かみの無い」「情報を伝える以外に情緒の無い」「素早く書く事重視の走り書きな」感じになってしまう。

(注2)季節と言うと、筆者の感覚だと、春先=花粉症の多少でドラッグストアの月次が変わるよね(筆者は花粉症はほぼ無いが、周囲の人達の花粉症の苦しみ具合を見ながら、ドラッグストア株でトレード出来るか考えたりしていた。ちょっと申し訳ないなと思うが、少し前までそれが仕事だったので、致し方ない)。春=やたら寒かったり雨が多いと、小売やアパレルの月次に影響出るよね(ユニクロの3月の月次と株価急落なんかは、こう言う感覚があれば捉えられる。4月も特に前半〜中盤のアパレル小売の月次は春物が売れずに結構厳しかったはず)・・・と言う風になってしまって久しい。こう言う感覚が常識的なのか非常識なのかの感覚すらもはやない。こう言う感覚をそのまんま小説に落とした方が、案外一般の人には特殊で(かつ筆者のような経歴でないと書けない事もあるので)面白いのかも知れない。

(注3)普段と異なり、こんな何て事はない情景描写を書くのに何十分もかかっている。やっぱり小説はしんどいかもなー(爆)、つうか最近読んだ1Q84の村上春樹氏もそうだけど、小説家って凄いよやっぱり、と思わずにはいられない昨今であった。

(注4)概ねビールを頼んでからビールを飲み終わって次に行く間を情景描写で埋めている訳だが、こう言うちょっとした処理の描写でもの凄い時間と気遣いが必要になってしまう。うーん、小説家でメシを食おうと思うのは止めよう(爆)と早くも思う、やっぱりROI等の金融マン的思考が頭を離れない筆者であった。しかしまあ、趣味としては面白いかも知れんな。。。普段いかに適当な走り書きの日本語を使っているか、自覚される昨今である。

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