2010年5月8日土曜日

海べりのカフェバーにて その2

ブルーマルガリータが出来、彼の手許にそれが届くと、左利きの彼はそれをゆっくりと左側に置き直して、しばしカクテルの青とカクテルグラスの周辺に付けられた白い塩を眺めた。それらもまた夏の萌しの砂浜と深い海の底を思わせ、いつに見たか忘れたが、スキューバダイビングの時に確かパラオかグアムで見たマンタやウミガメの姿や、海底洞窟を抜けた先にある断崖絶壁と果てしなく続く濃青の深海を思わせた。暗い洞窟を抜けると眩しいばかりの陽光に溢れ、上を見ると自分の吐く息から出る無数の水泡が原色の色とりどりの小さな熱帯魚の群れを避けながらマリンブルーの海面に向かって広がって行く。下を見ると吸い込まれそうなほど濃い青の断崖絶壁の深海が広がっており吸い込まれそうになる。本当に吸い込まれたら間違いなく生きて戻れないなと言う微かな恐怖感と、気圧の関係で少し感覚がおかしくなって来ているのか、ブルーマルガリータと同じような圧倒的に美しい深海の濃青に心を奪われそうになる。これはいつの事だったろうか。少し気圧酔いしている事を彼の理性は感じて、深度が30メートルを越えて居ない事を確認する。吸い込まれないように気をつけないといけない。バディの女性も心を奪われているようだった。彼女と目が合うと、彼女の瞳も黒の中に澄んだ青が混じっていた。にこにこしちゃって、ずいぶんごきげんだねぇ。彼女は僕にそう話しかけた。

「独りでにこにこ?にやにや?しちゃって、ずいぶんごきげんだねぇ。平日の昼間っから海眺めてビール飲んで、強いショートカクテル飲んで。いいなぁ。」

僕はカフェバーのカウンターに置かれていたブルーマルガリータから、ふと視線を声のもとに移すと、黒の中に澄んだ青が混じった女性の瞳が僕を見ていた。ハーフだろうか。瞳は大きく何かしら意思の力のようなものを感じさせ、睫毛が長かった。しかしまるで寝起きにそのまま出かけてここに居ますと言う感じで無防備な位に殆どメイクをしていないようにも見受けられ、人見知りをする彼にとっても威圧感は無かった。昼間から飲んでいるせいか、少し酔いが回って来ている事を彼は感じた。

威圧感の無さは、彼女の喋り方にも由来しているように思われた。ユルい、あるいは人や職場によってはトロいと苛々され得る話し方からも来ているように思われた。彼女の話し方はのどかな春の潮風や、扉の外のヨガの先生・生徒のゆったりとした動きに相応しいものであった。恐らく米系の投資銀行部門等では優秀さに欠ける、あるいは外資系コンサル等ではロジックに欠ける等と言われ得るその話し方も、今の彼にとっては心地よいものだった。コロナ頂けますか、グラスに移さないで瓶のままでいいです、ライムは最初から絞って瓶の中に入れといて頂けると嬉しいかねぇ、と彼女は店員に頼んだ。「〜かねぇ」の語尾は暖かい日だまりの縁側でお茶をすするおばあちゃんを彷彿とさせた。店員は厨房の冷蔵庫にコロナを取りに行った。

気づいたら隣に座って居た彼女の年齢はよく分からないが、「縁側のおばあちゃん調」の話し方とは対照的に、彼女の目尻にシワが全く無い事を見るとかなり若いようにも見えた。色白だが若々しい肌艶や小振りだが瑞々しい唇からは生命力が感じられた。明るい茶色のショートヘアで、体格は細身だが健康そうだった。半分黒、半分白で循環している事を示す丸い陰陽のロゴの入った、少しくすんだ水色に染められただぶだぶのエスニック調の長袖と、それに合わせた緩やかなアジアンテイストのロングスカートを履いていて、薄手なのか安い製品だからなのか知らないが長袖からはブラジャーのラインが、スカートからはふくらはぎから太腿に向かう健康的な肌色のラインが微かに透けていたが、彼女は全く気にしていないようだった。モデルやアナウンサーのようなステレオタイプで誰から見ても目立つような美しさでは無いものの、客観的に見て健康的な魅力のある女性だと判断して良い雰囲気だった。少なくとも金融業界の元同業者では無かろう。そう思うと彼は内心安堵した。

彼女は全体として国籍不明な印象を受けたし、この辺りは外国人の観光客も少なくないので英語で話した方が良いだろうかとも一瞬思ったが、一方で彼女の日本語には全く澱みがない。彼は言語スイッチを日本語のままで話す事に無意識のうちに決めた。ああ、本当に贅沢だと思う、気分良いよ、にやにやしてたかな僕は。彼は応えた。

彼女の手許にコロナが届くと、私もにやにや?させてもらおうかなぁ、平日昼間っから海眺めてビール飲んで。これも何かのご縁だし、乾杯しない?と僕に告げた。僕はブルーマルガリータがこぼれないようにしながらゆっくりとグラスを持ち上げた。

はじめまして。乾杯。
二人の声が重なった。

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