2010年5月9日日曜日

「運用力把握テスト」、フリンジベネフィットはxxxオプション。

扉の外で揺れる小さなヤシの木と、穏やかな潮風にまるで相応しくない話になって来た。

酔いを醒まして、真面目に話す必要がありそうだと彼は悟った。


「しかし問題がある。僕は100本も運用した事ないんだ。片手で100本ならショートも含めてグロスでは200本と言う事になる。一日で何千万円とか1億円単位でPLが動くのは、僕にはToo muchだし、間違いなく過剰な負担になる。最初はもっと少ない額で始められないか。」


彼はパンツの色に興味があった事と同様、運用の問題についても彼女に正直に話した。相手にとってリスク要因になる事は先に報告しておかないといけない。


「キミは本当に正直だねぇ。今までハッタリで沢山やらせてくれとか言って穴空けて即クビにした人結構居るのにねぇ。謙虚なHumbleジャパニーズって感じだねぇ、いいねぇ。まあ投資銀行業界に入る日本人には色々居るけど、キミみたいに素直で投資銀行に向かなそうなザ・ジャパニーズの職人は、真面目で使い易いのがいいのよねぇ。ワタシの目に狂いはなかった。社内の多くは英語圏の人達だけど、大丈夫だよね?ワタシの瞳の色とか雰囲気見て、キミ最初に英語で話そうとしたよね。キャリアも多分外資系のバイサイドなんかを経てヘッジファンドだ、そうでしょう?別に英語はネイティブじゃなくていい。第二外国語で英語を話している人も多いから。ワタシと話すときは日本語でいいけど、あとはブロークンイングリッシュが世界共通語・・・ダメ?」


その通りだったし、そう言う状況には問題は無かった。なんで分かるんだろうと彼は訝しがったが、これも”書かれるそばから読まれて行く”なんだろうか。さらには彼女の弁によると、運用サイズの話は問題無いと言う。慣れるまでは満額張らないで始めて、徐々にキチンとやればいいと。また彼女と一緒に居ると自然と大きな額を取り組んでも平気になるから安心するようにと言う。彼は直ぐには意味が理解出来なかったが、構わずに彼女は続ける。


「よっし、では運用の具体的な所にはいろうかねぇ。まず、こちらの希望としては、キミにカリスマティックなリターンは期待していないのね。キミがワタシのパンツに当初大した期待を持って居なかったのと同様、ワタシも日本株の運用、あるいはキミに対して大した期待はしていない。なんせ日本はGDPが伸びない国で、高齢化が一気に進む国だし、他の国の株式市場みたいに株価に上方バイアスもない。シクリカルで行ったり来たりで、過去のバブル崩壊後からで見ると美しく下方バイアスがかかっている。借株やオプション市場もそんなに厚みがあるワケじゃない。ロングバイアスにしておけば基本線ベータのお陰でリターンが出るアメリカや新興国の市場とは違う。基本的に二桁のリターンを上げるには不利なマーケットである事はワタシも認識しているのよねぇ。」


本当にその通りだ、良く理解していて、助かる限りだ。


「だからまず大ヤラレしない事。年率で−10%以上はやられて欲しくない。あとは、リアルタイムで香港からキミのポジションもトレードも全部ワタシに見えるようにするのと、日本市場の情報を適時に香港のワタシに報告する、これに同意する事。トレードのインフラは香港からこちらが提供する。キミは日本にオフィスを作って、そうねぇさしずめ"Investment&Research Director Representative of Japanese research desk"みたいな肩書きになる。何だか凄そうでしょ?日本の一人SOHOオフィスのお留守番って意味だけどさ、まあ怒らずに。たまに遊びに行くから。」


「あとコンプライアンスはちゃんと守る事。日株の中小型株中心のヘッジファンドでインサイダーまがいの事やってる所もあるけど、アレはやめて欲しい。キミに多くを期待していない事と合わせると、リーガルリスクやレピュテーションリスクを取ってまで儲けようとしてもリスク/リワードが釣り合わない。キミに期待するのは、強烈に稼げと言う事ではなくて、何だかだ言ってもGDPで世界2位、中国に抜かれても3位の日本市場をキチンとモニターする事なのね。ワタシの希望としては、セルサイド以外の、直接マーケットに触れている情報網を自社で持っておきたいと言う事ね。ここまではOK?」


大丈夫だ、大きく稼ぐのは才能が要るが、損を抑えるのはスキルと規律があればやれる。それ以外の部分も極めてリーズナブルな話だ。彼は応じた。


「アセットクラスは、、、キミの専門はえーと、日本株のロングショートだったか。日本のヘッジファンドである程度流動性と規模があるのは、まあそれだけだからねぇ。日本株については基本線キミがメインで担当、と言う形にしようと思っているし、当面それでやって貰えばいいかなぁ。銘柄数は任せるけど、あんまり分散し過ぎない方が良いんじゃないかとは思う。30−40銘柄が独りできっちりモニター出来る限界よねぇと思うし。でも1銘柄で20本以上集中的に投資するか、5%ルールで大量保有報告が出る規模の投資をする場合は事前に相談してくれると良いかな。余り5%ルールには出たくないな。流動性も確保しておきたいし。過去の出来高平均の30%を1日分として、10日以上Exitに時間がかかるようなポジションは相当自信がある時以外は取らないで欲しいな。それ以上ポジション取る際は要相談ね。その他、外株とか、為替や不動産等の違うアセットクラスを手掛けたい場合は随時言ってね。全体で見てポジションが重複したり、社内で逆のポジション取ってるマネジャーが出て来たり、全体で見た時にポジションが偏ってしまったりの際の調整が必要だし、インフラやファンドの建て付けの面での調整が必要な事もあるから勝手にやられると困るけど、面白いトレードアイデアなら可能な限り対応するよ。」


了解、仰せの通りに。どうやらブルーシールドキャピタルとして、グローバルで相当な額の運用を始めるつもりで、日本株のヘッジファンド部分はごく一部のようだ。まあほんの一部じゃないと、初対面で一声で採用決定なんて事、有り得ないだろう。全体として、ソコソコ真面目にやってくれる人ならそれで良いと言う雰囲気だ。


「そう、その通り。オフィスをグローバルにあちこち展開する時に何が大変って、運用が上手いとか非常に優秀な人を探す以前に、不正をしないとか、毎日対面で目を光らせてなくても一人でもソコソコ真面目に仕事してくれるとか、”取り敢えずこの人に任せておけば変な事にはならないだろう”と言う所を担保出来る、人間的に信頼出来る人を捜すのがまずは大変なのよぉ。見た所キミはむっつりすけべには違いないけれども、パンツ見たかった事も白状する位に何事にも非常に素直で正直で安心出来る。それはキミの素晴らしい点だから大事にした方が良いと思う。・・・で、次にリスクモニタリングなんだけど、どうしようかなぁ。ベキ乗則って分かる?フラクタルは?」


なるほど、正直さを評価して一声100本なのか。彼はその点は理解したが、一方で困ってしまった。フラクタルって、彼女は物理学、クオンツ出身なのか?ナシームニコラスタレブやマンデルブロの書籍は読んだし概略どう言う議論かは分かるが、彼は文系出身であり、運用も、比較的アナログな手法の個別取材に基づくファンダメンタルベースのロングショートである。数学や物理にはそう明るくはない。プログラミングもExcel VBA位なら出来るが、クオンツの専門家ではない。しまったなと彼は思う。彼は少し考えて、自分がクオンツには余り詳しくない事を彼女に伝えた。


「申し訳ない。エレガントさには欠けるけど、普通のモダンポートフォリオ理論とボラティリティに基づくリスク管理をちょっといじる感じのものしか作れない。例えばVIX指数が低位安定でボラティリティが低くて金融緩和が続いていたのが終わりに近づいていて利上げも近いかな位でマーケット参加者のリスクアペタイトが高まり切っている時には、ボラティリティがジャンプして銘柄間の相関が1になって一斉に株価暴落みたいなケースを想定してやや保守的に運用する。ボラティリティが非常に高くて、クレジットの環境もひどくて、株価も凄い勢いで落ちていて皆総悲観の場合はそのままのボラティリティを採用するか、状況によってはボラティリティが落ち着く事を想定してポジションも見た目のリスク管理ツールが示すよりも多めに取って勝負する。そんな感じでやって来た。これだと上昇相場の時にリターン取り逃すリスクがあるのと、VIX指数の頂点、つまり市場の混乱のどん底を見誤ったりすると結構ヤラれるリスクがあるんだが、そこはその時に随時相談させて欲しい。」


彼女はうんうんとゆっくり頷きながら話を聞いている。話を聞くのも彼女は上手い。場所が穏やかな海べりだからかも知れないが、長い話でも遮らず、相手が言葉の選択に迷っているような場合も言葉が自然に出るのを待って最後まで聞く。彼女のユルい雰囲気も、こちらが思わず沢山喋ってしまう事に貢献している。話せば聞いてくれそうな雰囲気なのだ。この業界にはもっとせっかちな人間も多いので、彼女は珍しいタイプのようにも彼は思う。彼は思わず、更に続けた。


「この位のリスク管理なら、ブルーンバーグで株価ダウンロードしてRって言う、S-PLUSと殆ど同じ動きをするフリーの統計プログラミング環境を提供するソフトウェアに吸い込んで、簡単なプログラミングをして行列計算すればそんなに難しい話ではない。後は普通に、ポジション取る前にボラティリティとタイムホライゾンを考慮してロスカットポイント・最大損失を計算しておいて忠実にロスカットを遂行するとか、1行メモで良いから投資理由をきちんと書いておいてその仮説が崩れたら即ポジションを閉じるとか、過去のトレードはちゃんと記録に取っておくとか、彼女も言う通り流動性リスクは余り取らないとか、そう言う基本的なリスク管理になる。今までの会社ではリスク管理やクオンツの専任者がいて彼らがツールを開発していたし、僕はその辺については基本的な素養しか持っていない。年率で-10%以上やられないためのリスクモニタリングについては、一兵卒の出来る事はこの程度が限界だ。」


彼はポジション管理について思う所を素直に話した。


「了解、まあ合格点かな。Rでプログラミングして自分で簡単なリスク管理の仕組みを作れる、キャッシュエクイティのデヘデへ選手がボラティリティにベットする感覚があると言うのは少しポジティブサプライズで安心感あって良いねぇ。ザ・文系のボトムアップアナリストガイの割には渋いよキミ。フリーソフトで100本運用のリスクマネジメントをやると。オプションじゃないしキャッシュエクイティだけどポジションサイズでボラティリティにベットすると。面白いねぇ。海べりで思わぬ拾い物をしたかも知れない。」


「そうそう、ExcelやRで作った関数やプログラミングのソースは全部ワタシに公開、説明してと言われたらラインbyラインで説明出来るようにしておいてね。社内でこう言うのをブラックボックス化する社員はワタシはどんなに優秀でも雇わないようにしているのよぉ。社内の風通しが悪くなるし、こう言うブラックボックスを作っては政治的な武器にして年収ボったくろうと言う人も多いから。あとはいちおうこっちでもグローバル運用全体の視点からリスク管理はするつもりだから、何かあったらこちらからも連絡するね、これでいいかなぁ。」


文句は無い、言わんとする事はよく分かる。別に僕のつたないプログラミングなんて彼女に見せても減るもんじゃないし、彼女からすれば全部既知の事だろう。本部のグローバルワンポートフォリオとしてのリスクモニタリングと、日本株運用に限った手許のリスクモニタリングでダブルチェックが利くのは良いと思う。彼は同意した。


「あと香港本部のグローバルリスクモニタリングシステムはブラックボックスで、キミのIDだと恐らく見られない事になると思う。キミのPCは勿論香港のイントラネットに接続されるし、社内の各種お知らせは見る事が出来るけれども、グローバルのポジション管理システムはワタシ一人で全部開発する事になる。外部委託もしないから、本当にワタシ以外誰も知らない。ここは少しフェアじゃない事は最初に断っておかなくちゃいけないかな・・・これじゃ、ダメ?」


彼女の「・・・ダメ?」の語尾だけ年齢相応の可愛らしさがあるのは、どうやら彼女自身が気づいていない彼女の癖のようで、海べりに鳴る心地よい音楽のように響く彼女のこの語尾を聴くたびに彼は内心ドキドキするが、しかし話の内容は全然可愛らしくはない。やはりクオンツガイならぬクオンツレディらしい。物理、コンピュータサイエンス、投資銀行のプロップトレーディングと、ユルい風貌に健康的で飄々とした顔つきの間に、彼は全く関連を見出せなかった。このギャップが萌えるかも知れないが、今は全然萌えられなかった。仕事の話をしている彼女は、こちらも襟を正さないといけない気がするような、えも言われぬ雰囲気がある。従業員になったらまた会えるだろうし、次来日したらソーシャルアクティビティとか称して飲みにでも連れて行って後で萌えよう。そうしよう。彼はそう心に決めた。


「つまりワタシはキミのポートフォリオや運用プロセスの全てをガラス張り、キミをパンツいっちょうで包み隠さず把握する事になる。キミの運用するポジションにキミの考えも性格もぜんぶ反映されるし、ワタシも現役でポジションを取っているし今後も取るからそれを理解する事が出来る。キミの性感帯もメタボ入り始めのお腹の贅肉や自信のない体格も、全部丸見えと言う事になる。一方で、キミからはワタシのブラは透けても服がだぼだぼ過ぎてバストのサイズは分からない。パンツも透けそうで見えそうで見えない。これはむっつりスケベのキミからするとコーフンするかも知れないけど、ヨッキューフマンで負担かも知れない。でもキミのような一般の人は見ない方が良いものもある気がするのよ。キミはそれでいいかな。」


彼はしばし考え込み、店員さんに水を頼んだ。D.Eショーやルネサンステクノロジー等のクオンツハウスの運営方法だ。俺は作業員の一人、コアノウハウは完全なるヒミツと言うワケだな、、、こう言う立場の作業員を、世界中の金融市場に張り付けるつもりなのかも知れない。彼は推測した。


しかし、一声で100本、年率−10%やられなければ好きに運用して良く、日本市場の難しさはCEO兼CIO自身が理解しており別に短期で際立ったリターン挙げなくても良くて、100本のポートフォリオの運用を通じて真面目に情報提供していれば良いと言うのは、ヘッジファンド業界では破格で、まず有り得ない条件である。彼は店員の運んで来た水を一口だけ口を付けると、分かった、キミのパンツの色はやはり気になるけど、キミもパンツを見せない自由はある、それで良いよと頷いた。


「話が分かって良かった。しかしキミ、モダンポートフォリオ理論だの、効率的市場仮説だの、本気で信じてるの?」


質問が次々に続く。彼女はどうやら、「運用理解度把握テスト」のような事を僕にしているようだった。


「いや、MPTだのEMHだの何て勿論信じては居ない。市場が完全に効率的で、情報が全ての市場参加者に等しく行き渡っていて、全ての市場参加者が合理的に全く同じ判断を下して、なんて言う前提がまずはおかしいし、そんな状況が成立する訳はない。それに、仮に成立するとしたら、そんな状況じゃ売買の相手方がいなくなるから売買が一切成立しない事になる。出来高が全くないなら市場は全然効率的じゃなくなるので当初の前提を満たさなくなる。よってそもそも論理が破綻していると思う。CFAの勉強している時、アホかと思ったように記憶している。」


彼は続ける。この辺は彼の得意な説明分野だ。話が長過ぎるとよく言われるけれども。しかし彼女の場合、話が長くてもディテールまできちんと聴きたい様子でもあった。


「分散してマーケットと同じポートフォリオにするのがベストですよ何て言うのも次善の策に過ぎないようにも思う。何かの分野で何がしかの人間になろうと思ったら、集中すべきだ。イチローは野球だけやって成功した。ソロスはポンド崩壊に大量ベットしてイングランド銀行に勝ってから発言力を増した。バフェットはGEICOだコークだジレットだに集中投資して成功した。キミは10代からトレーディングで勝負して成功した。僕はこの辺の胆力がやや不足しているし言ってみれば平凡な人間のようにも思う。あるいは音は平凡な割に結婚みたいな大勝負で外している実績がある事を認めないといけない。とは言え致命傷にはならないようにはしているし、こうして今も元気にキミと話している。で、話を戻すと、平常時は分散でいいが、ここぞと言う時はやはり集中だ。特に勝負どころではそうだと思う。しかしモダンポートフォリオ理論の計算は行列計算でばさっと計算出来るし、数学的素養が大して無くても大量の銘柄を一括処理し易いのも確かだ。なので部分的に借用して、それを実務用にアレンジする形で使っている。それが現実だ。」


テストされている事に気づき、酔いもすっかり醒めた彼は答えた。


「いやあ良かった、本気で”社長、市場は効率的でありますから、分散ポートフォリオなんです”とか言われたらどうしようかと思ったよぉ。まあそう言う人なら、ヘッジファンドで運用なんか最初からしないですな。胆力の無さとか自らの平凡さを自覚しているのはそれで良いと思うよぉ。無知の知、自分には出来ない事が沢山あると理解している事は、相場ではとても大事な事だし。それにワタシと喋ってるうちにその辺は自然と多分慣れるから。ワタシだって基本線平凡だけど、ポジションは取っているし。結婚はまあ、難しいよねぇ。ワタシもカレシなし独身だから大きい事は言えない・・・。後はそうだなー、何か必要なインフラとか、人員とかある?」


彼女が基本線平凡だと言うのは彼には理解がし難かったが、カレシなし独身と言うのは良い情報だ。


「大したものは要らない。マストなのは普通にインターネットが出来るPC環境、ブルーンバーグ、四季報CD-ROM、香港の本部とのイントラネット接続、電話取材沢山するので電話。後は出来ればロイターとかあると良いけど、予算上しんどいなら要らない。先の通り、会社のPCにRをインストールするのは許可して欲しい、別にウィルスとか入るようなソフトではない。また、大手セルサイドのリソースは一通り使えるようであって欲しい。」


「その他はそうだな、ボトムアップでよく会社に取材に出るから、出来れば取材のアレンジとか留守中に電話番してくれるセクレタリとか居ると有り難いけど、これも別に居なくてもいい。決済等のインフラも香港で整って居るなら、日本では大したリソースは要らないだろう。あとはそうだな、出来ればオフィスを海べりにして欲しい。SOHOオフィスみたいな小さいのでいい。家賃も安いし、湘南位なら決算説明会や取材の際に都心にも通えない事はない。平時の取材はテレカンで過半は済ませられる。沖縄も考えたが、さすがに東京へのアクセスに時間がかかり過ぎる。会社訪問は出来た方がいい、だから湘南。どうだろう。」


彼女と話していると、ビジネスプランがどんどん出来上がって行ってしまう。不思議だ。


「おっけい。湘南SOHOオフィスの話もApproval出しましょう。海の目の前なんかでずばばーんと借りちゃってくださいな。いいじゃん、同業者や企業の交流場所みたくしようよ。ワタシが日本に来た時、遊びに行けるし。投資銀行時代はこう言うアソビが少なかったし、せっかく会社作るんだからちょっと楽しみたいのよねぇ、ワタシも。」


パンツは見られたくない以外の部分では、本当に鷹揚なんだなこの人は、と彼は話を聞きながら思う。まあ、ブラジャー透けても気にしない位だからな・・・と彼が考えた所で、鷹揚な彼女は再度真剣な顔つきに戻ると、注意点を述べ始めた。


「よし、最後にお願いとしては、相場の事でも会社の事でもそれ以外の個人的な事でも何かあったら直ぐ報告する事かな。特にパフォーマンスや会社運営の上でネガティブな話は直ぐ報告して欲しい。ロジカルである必要もないし、結論と理由で要約されて賢くまとまっている必要もないし、最後まで分析してきちんとしたリサーチレポートにしたり、公の報告書みたいにして上げる必要もない。香港のワタシの電話番号あげるから、何かあったら、場中でも引け後でも朝でも夜でも”あー"とか、"うー”とか、”何か不安だ”とか、”ちょっと聞いてよ”とか、"こんなマーケットの夢を見た"とか、気になった事があれば何でもいいからとにかくすぐに報告して欲しいのね。何が言いたいのかはワタシが読み取る事が出来るから。特段用がないけどとか、雑談だけどとかも一向に構わない。」


「雑談も含めて常日頃やり取りしているのは大事だし、何か連絡を取り合う必要性があると現場の運用者が直観したと言う事自体が情報になる。直観は大事にする必要がある。左脳でロジカルにまとめられる段階になってからでは得てして遅い事もマーケットではあるし、雑談しながら投資戦略を練ったり、次のアクションやら方針を一緒に考えると言うのがワタシのやり方でもあるのね。言ってみれば雑談パートナーが欲しくてキミを雇うと考えてもいい。ワタシも一人ではさすがに煮詰まるからねぇ。こっちが忙しい時にはちゃんとそう言うから、そん時はメールとかで投げといてくれればBlackberryでチェックして返すから。これさえ守っていれば、基本線多少損失が出た位でごちゃごちゃ言わないしクビにもしない。だから安心して運用に集中して欲しいんだな。」


報告の件も分かった、雑多な話でもとにかく伝えると言うのは気楽だし助かる。彼はそう応じながら、彼女がもの凄いスピードで出世していった理由を何とはなしに理解した。彼女は自身もトレーダーとして稼いでいるだけでなく、更にはクオンツとしての能力があるだけでなく、マネジメントも恐らく非常に上手いのだ。


決済等の不正の発生し得る部分、グローバル運用のノウハウのキモの部分は彼女の手許の香港に全部集約し、リスクモニタリングもリアルタイムで彼女の手許で一括把握する。外部からは社員でさえノウハウのコアの部分は一切見えない。一方で権限委譲する所は大らかに委譲し、最後の責任は自分が取るから現場は安心して運用に集中しろと言い部下のロイヤルティを掴む。そして現場の部下に対して、ブラくらい透けててもまあいいかと言う無防備な態度(しかし実際はもの凄く脇も堅いのだが)と、ほわんとした聞き手の雰囲気を漂わせながらドアをオープンにして、密にコミュニケーションを取る。末端の市場で何が起きているかを可能な限り早い段階で吸い上げる。リーダーシップでもって意思決定を即断で下す。これらを特段意識するでもなく、自然にやっている。


どれも当たり前の事のようにも思えるが、この業界でこう言う完璧なマネジメントと会うのは、彼はこれが初めてになりそうだった。シニアでも中々居ないタイプの人材である。プレーヤーとして優秀な人は中々マネジメントに向かないし、マネジメントとして出来ている人はプレーヤーとしての金融商品の細部や運用・トレーディングの細部まで分からなくて結局マネージし切れていない場合が多いのがこの業界の通例である。自身でプログラミングやシステム開発、実際のトレーディングもゴリゴリやる一方で、マネジメントとしても洗練されている人間は、彼の見た限りでは過去10年以上のキャリアにおいて、彼女が初めてになるかも知れなかった。やはり若くして非常識に稼ぐ人間は何かしら違うのだ。色々な意味で、彼は自覚した。


「後は何か希望はある?」


彼は少し考えて迷い、水を一口に飲み干した。

そして勇気を出して言う事にした。


「給料は安くていいから、”キミとたまにデートする権利”、これが欲しい。あとはキミ個人のメールと携帯番号交換させて欲しい。キミの事をもっと知りたい。ウォーレンバフェットも、”誰のバットボーイになるかで勝負が決まる”と言っていた。彼はベンジャミン・グレアムのバットボーイになって、その後独自のスタイルを加えて今のようになった。僕にはキミなんじゃないかと。」


彼女は一瞬考え込んだ。

そして大笑いした。


「うは〜、"ワタシとのデートオプション"の付与ですかぁ。連絡先の交換って、これはキミ、世間一般ではナンパと言うのですよ。久しぶりだなぁ、ナンパされるなんて。あたしゃ感慨深いねぇ。」


「それにしてもそう来ますかぁ。運用の議論は平凡な割に、さすがむっつりすけべ。案外大物かも知れないよキミ。今まで幾多の人間を雇ったり切ったりして来て、ストックオプション付けろとか、僕は凄い大学でMBA出て優秀だから給料上げろとか、素晴らしいトラックレコードだからどうだ凄いだろうとか、完全にヒミツにしているコアのシステム言ってみればキミのむっつりすけべ言語で翻訳すればパンティを色んな手段で盗み見してやろうとか言う人は色々居たけど、給料下げていいからフリンジベネフィットで"ワタシとのデートオプション"を付けてくれとど真ん中ストレートに言って来たチャレンジャーな人はキミが初めてだなぁ〜。」


「つまりは、莫大なリターンを稼ぎ出してワタシをアラサー入る前に今の立場に運んで行ったブラックボックスのシステムを見たいんじゃなくて、やっぱり物理的にワタシのパンツの色を確かめたいと。面白いよ、それ。雇用契約を結ぼうと言う時に言うのがまた素晴らしいよ。今日はお陰さまで本当に面白い一日だよ。キミ、ありがとうね。」


彼女の笑いのツボに入ったらしく、彼女は温くなったコロナを一気に飲み干してまだ笑っていた。

そんなに突拍子も無い事を言っただろうか。「基本的に胆力に欠け平凡な人種」であると自覚している彼は、彼女の機嫌を損ねたのではないかと少し不安になった。


「そうだよねぇ、お年頃の女性と1対1で話してるんだから、社交辞令でもその位言うべきよねぇ、その位素敵ですねとか。まあ、仕事の外でもモニタリングされて、お前そんなパフォーマンスじゃふがいないとか、もっと仕事しろとか、お前くびだとか、年下の姉ちゃんに言われるんじゃたまったもんじゃないんだろうけどねぇ確かにさ。」


彼女は青の混じった瞳をニコニコさせながら続けた。シワ一つない瑞々しい目尻に、幸せそうなシワが入る。10年、20年経っても、素敵なマダムになっているかもなと彼は思う。本当に大成しているトレーダーはここまで余裕があって健康的なのか。彼にとってそれは新しい発見だった。キリキリやるのが運用だと思っていたからだ。今までの上司や同僚も、そして自分自身も、概ね大きなストレスを抱え、往々にして私生活を犠牲にしながら、キリキリと運用していた。


「よかよか、付けてあげようじゃないのデートオプション。別に幾らでプライシング出来る訳じゃないしさ、年収下げる事は無いよ。香港で新しい会社始めても、1−2ヶ月に1回、日本には来るから。その時にしよう、デート。何かフレッシュな響きだねぇ、デート。いいねぇ、若返るねぇ。」


仕事の話だと容赦ない一方で、言う事がやっぱり所々「縁側のおばあちゃん風」あるいは「新橋の飲み屋のおっさん風」の彼女はそう言って更に笑うと、周囲の空気がふわっと華やぎ、微かに揺れるショートヘアのシャンプーの匂いが軽やかに通り抜け、辺りの空気は全くおっさん風ではなくなり、夏の萌しの穏やかな潮風で満たされる。自分まで若返りそうだ。彼の心は弾んだ。


パンツが見えそうで見えないのは残念だが、その寸止め感もまたいいだろう。こんなヘッジファンドがあるなんて、彼は思いもよらなかった。何だか今までとは違う文化の中で仕事が出来そうだ。彼は彼女の柔らかい笑顔を見ながらそう思った。


「さて、これで大枠決まったし、大損して100本一瞬で吹っ飛ばすような事はまあ概ね無さそうな状況が担保できそうだねぇ。じゃ、次はひもねすのたりのたりかな?あれひねもすだっけ?のシャビーな日本株の運用で、多少でもパフォーマンスをカイゼンするための、実際の運用のStrategy/Tacticsの辺りよねぇ。ゲームプランってやつ。何かアイデアある?」


彼女の笑顔に喜んだのも束の間、年俸の提示は未だない。彼への「運用力把握テスト」はまだまだ続くようだ。健全で朗らかだが思ったよりこの辺はハードそうである。彼は気を引き締め直した。彼女はクランベリージュースを頼み、彼はアイスティーを頼んだ。扉の外の海は、二人の起業案を何も知らないかのように午後の陽光を反射してきらきらと輝いていた。



(以下注釈)


(注)あちこちに注釈を付けるべき「金融語」がある事は自覚しているが、それはまたの機会で・・・(汗)。

2 件のコメント:

  1. 匿名5/11/2010

    非常に面白いお話でした。特に、設定から察するに、隙がない女性にもかかわらず、結構なアナログ感が次の文章から読み取れます。


    「よし、最後にお願いとしては、相場の事でも会社の事でもそれ以外の個人的な事でも何かあったら直ぐ報告する事かな。特にパフォーマンスや会社運営の上でネガティブな話は直ぐ報告して欲しい。ロジカルである必要もないし、結論と理由で要約されて賢くまとまっている必要もないし、最後まで分析してきちんとしたリサーチレポートにしたり、公の報告書みたいにして上げる必要もない。香港のワタシの電話番号あげるから、何かあったら、場中でも引け後でも朝でも夜でも”あー"とか、"うー”とか、”何か不安だ”とか、”ちょっと聞いてよ”とか、"こんなマーケットの夢を見た"とか、気になった事があれば何でもいいからとにかくすぐに報告して欲しいのね。何が言いたいのかはワタシが読み取る事が出来るから。特段用がないけどとか、雑談だけどとかも一向に構わない。」


    こういう女性、結構好きだな。女性というか、性別問わず、好きなタイプの人間です。非常に優秀という大きく右に振れた針が、それ以上に大きく左に振れる感覚です。いわゆる、笑いでいう振れ幅でしょうか。まあ、僕が平凡な人間なので、親近感を感じているのでしょうけど。


    これからもこっそりのぞかせて頂きます。

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  2. お忙しい中、コメント有り難うございます。

    話中の通り、「いまいちシャビーな」日本株運用において、前向きな話、希望の持てる話をしたいなと言う思いを持って書いてみています。

    また、この業界に、話中のような「直観と論理、右脳と左脳、運用者やトレーダーとしての実務的能力とマネジメントとしての管理能力のバランスが取れているプレーヤー兼マネジメント」が出て来て欲しい、そう言った考えで運営されている健全なヘッジファンドや運用会社が増えて欲しい、あるいは機会がもしあるのであれば自身としてこういうチームを組みたい/チームで働きたい、と言う気持ちもあります。

    どのくらいキチンとした話としてまとめられるか全く未知数ですが、今後ともご支援賜りますと幸甚に存じます。

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