2010年5月26日水曜日

いまさらファイナルファンタジーVIII

(出所:スクウェアエニックス)

いまさらなんだが、10年以上前に発売したファイナルファンタジー8をクリアした。
ぷー生活もここまで来ると極めつけである。どうだ参ったかっっっ(注)。
そんな訳で、FF8から、色々徒然に。

○ゲーム自体は「かなり微妙」

FF8は、ファイナルファンタジー7がバカ売れして、当時任天堂→ソニーのプレステ、にハードの趨勢が激変したきっかけになり、その勢い覚めやらぬ頃に出されたソフトである。当時任天堂の株を考えるには、ファイナルファンタジーがどれだけキラータイトルで感動するかと言う事を理解していないといけなかった訳である。そう言う意味ではファイナンス理論も財務分析もあったもんではない。いやー株って、ほんっとうに面白いですねぇ、と昔の映画の解説者の決め台詞を思わず言いたくなるような話である。

しかし、FF8自体のゲームシステムは結構微妙、と言うか攻略サイトなしで普通に敵を倒してストーリー進めるだけだと、敵が強くなり過ぎて完全に行き詰まる。この点は他のサイトでも色々論評されているがその通りである。マス向けに何百万本も売る前提のゲームとしてはシステムがマニアック過ぎるし、かなり問題である。

とは言え、今の時点でゲームする場合は、攻略サイトを見ながらやって行けばスラスラ進めるので、この点(今やる分には)問題無い。


○ストーリーは、大人になってからやると結構奥深かった。

一方で、ストーリーは、大人になってからやると結構奥深かった。

当時は、主人公がビジュアルはイケてるが中身が極めてイケてないとか、ヒロインが大して頭も良くなく美貌も普通で天然過ぎてどうなのよとか、べたべた恋愛モノに付いて行けない、と言う批判が結構多かったし、発売当時に筆者がゲームした時は同じような事を感じたように記憶している。

しかし、大人になってからやると、結構奥深いし上手く作られているなー、と感じる事しきりである。どこが良いのか、幾らか書いてみようと思う。

○主人公スコールの成長物語として、上手くまとまっている。

まず、主人公スコールの成長物語がかなり上手くまとまっている。幼少時に十分な愛情を受ける事が出来ず、周囲に何も期待せず周囲と距離を置き、心を閉ざし、目立つ事を避け、冷静かつ理詰めで考える事で対応していた。これがヒロインのリノアとの出会いや仲間との冒険を通じて、段々心を開くようになり、苦手だったリーダーシップを取るようになり、理詰めや損得で考えるのではなく心から湧き出る感情に正直に生きる事が出来るようになり、仲間を信じる事が出来るようになる。言葉で書くと簡単なんだが、こう言うプロセスをお話の中で自然に描くのは結構大変なものである。しかし本作では上手くこれが出来ている。


○ヒロインのリノアの役回りが、批判も多かったが実は絶妙である。

また、ヒロインのリノアの役回りも実は秀逸である。「革命と言う割にやる事が大人でない、子供のお遊び的」「自己中」「一生懸命なのは分かるが思考や行動や発言がとろいと言うか未熟と言うか幼い」「愛されたがり」「”おハロー”と言う意味不明に天然系な挨拶に加え、発言における言語能力等にも論理性がなく知性に欠ける」「スコールと出会った最初"キミは私を好きにな〜る好きにな〜る"ってなんやねんそれ、好きになんないから全然」等等と批判が多かったヒロインのリノアだが、実は批判されているよりもずっと秀逸な役回りである。実はもの凄い成熟しているしバランスが取れている。スコールのカウンセラー、コーチ、メンター的な役割を実は担っている。若い頃にゲームをした頃にはこの点に気づかなかったのだが、大人になってからゲームをして、若い頃にゲームした頃と一番印象が違ったのがリノアの役回りに対する印象である。

心を閉ざしており、周囲に対しても常に距離を取り冷静、時に冷酷に当たるスコールに対して、リノアは根気づよく心を開くように促すと言うかつっつき続ける。「仲間が落ち込んでいる時は根拠が無くても大丈夫だと暖かい声をかけてあげるものだ。」「”悪かったな”の一言で済ませるのは良くない。内心悪いとはあなた実は思っていない。この一言でコミュニケーションをぶつ切りにして距離を取ろうとしているだけ。」「思っている事や感じている事を話してくれないと分からないよ。」「一人で何でも考えようとしないで、不安でも思う事でも何でも相談すればいい、それが仲間だ。」等等。これを幼少時のトラウマで性格が曲がった人間に根気強くやるのは結構大変である。

しかも、リノアの側は常にオープンマインドで本音で接していて、感情表現も極めて素直である。心を開いた場合に幼少時の頃のようにまた傷つく事を恐れている主人公に対して、「心を開いても怖い事はないし安心するように」と言う態度で徹底している。リノア自体が天然であったり、適度にドジで適当だったり、余り頭が良さそうに見えなかったりしてツッコミ所が多い事も、相手が心を開き易い雰囲気を醸成していて、親しみ易さを促して居る。

こう言うコミュニケーションは、実はかなり人間として成熟していないと中々出来ない。まず自分からオープンマインドで心を開いて、自身の欠点等も含めてオープンにして周囲と接するには、自身のトラウマ等を適切に消化していて、「イマイチな面もあるにせよ自分は素でちゃんと価値がある」と言う自分自身に対する適切な評価と自己信頼が必要なのである。

更には、主人公のスコールの心を開く事を、「自分は頼りないから、お願い」と頼りながら相手の顔を立てつつ促して居る。例えば職場においても、こう言うのは結構こなれた上司やシニアでないと中々出来ない所作である(筆者もそこまで成熟したシニアになれているかと言うといささか自信がない)。一見クールに見えるが過去のトラウマ等を上手く対処しきれずに周囲と距離を取っているスコールより、リノアの方がずっと、最初から人として成熟していると言える面がある。

○恋愛の描き方が自然。

上記の結果として、主人公のスコールとリノアの恋愛もかなり自然に描かれている。一見リノアがスコールに頼っていると言う構図でありながら、実際は根気づよいメンター、コーチ兼カウンセラーのリノアと接して行く中で、主人公のスコールのほうが徐々に過去のトラウマを消化していき、徐々に仲間に心を開いたり、仲間の心の痛みを理解したり、リーダーシップを発揮したり、理詰めでなく心の奥底から湧き出る感情、直観、欲求に素直に従って生きる自然な生き方が出来るように成長している。そしてリノアが一時的に意識不明になって失われた時にスコールがそれに気づいて、リノアの大切さを実感する。でもって冒険における試練等を経て、スコールも心を開いて行き、恋愛深まる。こう言う流れを比較的自然に作る事が出来ている。うーん上手い。こう言う流れを作品を作る側が自然に作るのは中々難しいものである。

○主人公の「心内語の描写」の使い方が巧み。

あと本作で面白いのが、スコールの心内語の描写と、スコールの行動のギャップをゲームをする側が楽しめると言う点である。ゲームをやる側は主人公の心内語と表面の行動や発言を両方把握している一方、ゲーム内の各キャラクターは主人公の表面の行動と発言しか知らない、と言うギャップを上手く意識して活用しながら描写を進めて居る。

そしてヒロインのリノアだけはだんだん主人公のスコールの心内語の「本音」部分に物語が進むにつれて接近している。結果として、スコールとの距離感が、ゲームのやり手=リノア<他のキャラ達、と物語が進むにつれてなって行き、恋愛に発展するまでが自然に促されている。この距離感の詰め方が上手いため、ゲームをやる側が「何となく自然に主人公とヒロインが恋愛モードに入っている」と感じさせる事に貢献しており、中々上手い点である。


○大人の描き方が味がある。

例えばラグナやシド学園長の描き方が、大人になると共感出来ると言うか、味のある描き方になっている。また、魔女の設定で、「騎士が居る魔女はおかしくならない」と言うのも含蓄深いなーと思う事しきりである。強力なパワーを持っていても、ちゃんと心を通わせる事の出来る仲間やパートナーが居て満ち足りていれば変な事にはならない、パワー/力だけあって孤独だと暴走し得る、と言う事である。パワーを「マネー」に置き換えるとこの点、資本主義社会における実生活にも結構そのまんま当てはまる。

また、物語のキーパーソンであるエルオーネの言う事がこれまた深い。「過去を見る事は出来ても、過去の事実自体は変える事は出来ない。ただ、過去を知る事で、過去に対して現在の自分がそれをどう捉えるか、位置づけるか、感じるかは変える事が出来る。」と。これは正にその通りであり、「自己の棚卸し」であるとか、心理学や精神分析を用いたカウンセリングにおいてやる事は、正にこれである。


○議論の余地のある設定が奥深い。

例えば、アルティミシア=リノア説など、結構そう考えられる部分もある。例えばアルティミシア=リノアだとして、未来におけるアルティミシア(=スコールと一緒になれなかった時代運行における孤独なリノア)は(過去の時代における)リノアとスコールをひっつけたいがために全ての事をしていた、と考えると面白いし、スコールと完全に一体になりたかったから時間圧縮を試み、約束の地でずっと待っていたのでアルティミシア城がイデアの館にあり、スコールとリノアが一つになれたと言う事を確認して役目が終わったと悟り、倒されるならスコールに倒されたいと言う願望を結局は実現したのかな、と考えると中々面白い。歴史がループしている所は良く考えると何だか破綻気味の面もあるし、まあ話として大風呂敷広げ過ぎてたたみ切れなかったと言う面もあるようには感じられるものの、こう言う解釈を許す余地を(偶然かも知れないが)お話として与えているのは中々良いと思う。


○音楽が何しろ良い

植松伸夫氏万歳。FF8の音楽も氏によるもので、フェイウォンの歌う本作の主題歌、Eyes on meは当時日本ゴールドディスク大賞で賞を取る等の実績を残している。ストーリーや場の雰囲気にばっちり合っている。郷愁を誘うようで、かつ色んなジャンルをミックスしていて斬新さも感じる所が良い。


○まとめ、、、

しかし思うのは、キャラクターの描き方やストーリーでは、ファイナルファンタジーでは7、8、10辺りが秀逸で、その後のファイナルファンタジーについては映像クオリティ等のハード面だけ発達して、ストーリーや上記のような描写の秀逸さと言ったシナリオライティングの面では退化してしまっていると言うか、ハード面の進歩に頼り過ぎてしまっていてソフト面のクオリティが付いて行って居ないように思う。

ファイナルファンタジー13のクオリティの映像で、ファイナルファンタジー7、8や10レベルのシナリオを楽しむ事が出来ればかなり感動出来ると思うのだが、Agitoやヴェルサスはどうなるのだろうか。

素晴らしい音楽を作っていた植松伸夫氏や浜渦正志氏も既に退職している(今後の作品でも外部委託で彼らが音楽を作ると言う場合はスクエニ株にはポジティブだが。。。)。スクエニの株価を考える時は、ドラクエとFFがどうなるかと言うポイントに尽きるので、この点注視したいと思う・・・って、結局株価の話になってしまった。仕事してなくても、これはもう癖なのかも知れない。筆者もこの点、もはや観念するしかないのかも知れない。


(注)誰も参らないだろう。一応一人ツッコミしておく。

1 件のコメント:

  1. 私も当時(中学時代)8は微妙だと思っていましたが、大学でコアな友人が熱く語ってるのを聞いて(大体筆者さんとと同じ内容ですw)、今思えば面白かったのかなと。

    最近社会人になったのでやる時間はありませんが。

    10以下の作品をリメイクした方が、15出すよりも売れる気がします。ディシディアも綺麗だったので。

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