2010年6月10日木曜日

パワースポット訪問:熊野詣で その2


(高原熊野神社の写真)

熊野詣での続き。

さて、歩く事1.5時間程度で、「高原霧の里」にある、高原熊野神社に到着。

これまた得も言われず心地よい気の充満している場所である。神社の屋根は適度に苔むし、木漏れ日が射している。いつまでも居たくなるような場所なのだ。基本的に、パワースポット、風水の良い場所と言うのはそう言うものである。


この神社を護るように立っている、樹齢1000年とも言われる老木がこれまた良い気を放っている。この場所に居ると自分も老木に優しく包まれているような気分になる。鎌倉時代や室町時代から人を包み込み続けている御神木からすれば、筆者の30ん年の人生などほんの一瞬の瞬きに過ぎないな、等と悠久の時の流れを感じる事が出来る。瑞々しい気の充満している場所、本当にちゃんとパワーのある神社の周囲には、こう言う老木があったりする事が多いように思う。


村の風景。うほー棚田だ!映画の「降りてゆく生き方」(注)の風景そのまんまである。金融屋的に言うと棚田だと大規模にコンバインやら田植えマシンやらでだーっとやれないので生産性は良くないのだが、何と美しい。こう言うのはROIが云々は無視して残されて然るべきである。村のおじいちゃん、おばあちゃんとも気軽に挨拶をする。農機の椅子に座ってのんびり新聞を読んでいるおじさんが居る。

思うに、こう言う村でのんびりして生活が成立している人が、一番の「資本主義における成功者」のように思う。大都会の中で、キリキリと分単位でスケジュールを埋めて行ったりして仕事する都会の人々や自分自身が、何だかラットレースのネズミのように思えて来る。

これ以上古道を歩き続けると古道で夜を迎えてしまい危険なので、村から30分位歩いて国道に出て、バスに乗って熊野本宮大社まで一気に行く事にした。バスも1時間に1本もないので随分待つ事になる訳だが、丁度バス停の所に茶屋があったのでビールを飲んで一服。ああ素晴らしかった。

そんな訳で、熊野本宮大社のエントランスに到着。
鳥居の前で軽く礼をして中に入る。こちらの現在の熊野本宮大社は、元々あった大斎原で洪水が起きた事を受けて移転したものである。熊野神社の総本山?中心なのだが、瑞々しい気の漂い具合としては、「まあまあ」と言う感じ。どちらかと言うと高原霧の里の古木のある神社の方が、気が強いように感じた。でもまあ、厳かな気分にさせてくれる。

こちらがエントランス。これより中は撮影禁止。ただただ感謝のお祈りをした。ちなみに神社で自分の願い事をするのは余り良い事ではない。自分が自分が、自分だけ良い思いをしたい、と言ったエゴを出してしまうと、せっかく感じられる瑞々しい気が感じられなくなるし、翻って運気も改善しなくなってしまう。ただ感謝する事が大事である。これは、アナリストで言えば「営業利益を売上高で割ったものが営業利益率で、本業の収益性を表す」と言った事柄と同じ位重要かつ基礎的なルールなので、このブログを読まれた読者は覚えておいて頂けると筆者としても嬉しい。

そして、本宮大社から徒歩5分程度の所にある、洪水前に元々本宮大社があった「大斎原」に到着。うーん、今写真越しに見ても瑞々しい気が放出する。

こちら正面からの写真。鳥居がどでかい。中に入ると、もの凄い強い気で身震いするのが、大して霊感等が強くない自分でも実感される。身震いと言っても怖い感じではなく、瑞々しい心地よさの伴う身震いである。ずーっと居たいような気持ちになった。中の写真は、恐れ多いような気がしたので撮って居ない。ここでも手を合わせて、無心に感謝を捧げた。

もう夜になりそうだったので、当日で予約出来た、湯の峰温泉の民宿に移動する。民宿に電話して、女将さんに迎えに来て頂いた(ありがとうございます)。名物で伝説も残っている「つぼ湯」に入ったり、女将さんに教えて頂いた「ホタルの見える場所」に行って蛍をもう10年以上ぶり位で鑑賞する。時はゆったりと流れ、心はどこまでも穏やかになって行った。こうやって書いているとまた行きたくなる。年末年始にでもまた行こうかな。。。

(注)映画「降りてゆく生き方」はこちら。


映画のクオリティとしてちょっと脚本がぎこちなかったり、動物と子供を使って涙を誘うのは反則でしょうと思ったりして、「どうなのよ」とツッコミたくなる面もある。しかし経済的な成長が望めない現在から将来の日本における生き方の示唆を与えているように思う。

ちなみにこの映画では金融マンやらファンドマネジャーがやっぱり悪者として表現されているが、実際リゾート地の再開発のプロジェクト、そのための地上げ、でもってオイルマネーに投資してもらう(日本の不動産は、利回りとリスクフリーレートのスプレッドで見ると非常に割安に映る、と言うのが大体の日本の不動産私募ファンドなんかの海外マーケティング時の営業トークなんですな)みたいな話は十分あっておかしくない話なので、致し方ない。

筆者からすると、もはやその辺の(一般のかたが想像するような、またこのご時世でも時折散見されるような)ベタベタ外資金融マンやらのように、年収アップや金銭的成功のためにキリキリ頑張る、みたいな事は一生ないだろうなと思う。とは言え一方で、金融の仕事自体とは比較的ご縁があるようにも感じているので、僕の使命はここを変える事なのかも知れないなと最近思ったりもする。「降りてゆく生き方」をしながら大量の「マネーと言う概念」を扱ってきちんと宇宙と調和する。個人的には、これが21世紀に相応しい金融プロフェッショナル像である。

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