2010年6月28日月曜日

紫陽花の季節

(鎌倉の紫陽花)

せっかくぷーライフをしているので、鎌倉のあじさいを観に行った。とても美しかった。


平日の昼間にも関わらず人が沢山。写真の向こうにうっすら見える海は由比ケ浜。世の中にはこんなに沢山、平日昼間に仕事をしていない人が居るのかと驚かされる。

それにしても、都心の金融コミュニティに居た頃は、あじさいの季節だとかそう言う会話がそう言えば殆ど無かったし、筆者も梅雨の時期はじめじめしてうざい、位にしか思っておらず、雨の中で瑞々しく咲くあじさいに心弾む事など余りなかったように思う。都心にあじさいなんて咲いてないから仕方無いと言えばそうだが、それにしても始終相場の話とか、誰それがMDになっただの、年俸だボーナスだの話、誰それは優秀だのそうでないだの言う話ばっかしだったように思う。

ちなみにこの業界の人間は「ご優秀」コンプレックスの人が相当多いんじゃないかと最近思う。人の話になると何かと言うと優秀かそうでないかと言う議論になる事が多い事に、金融の世界から距離を置いて気づいた。今まで気づいて居なかったと言う事は、自分もこの一員だったと言う事を認めざるを得ない。他に人を判断する価値観の軸は無いのかねと言う話だし、今考えるとつまらないし薄気味悪い価値観である。

マネーなんて、中央銀行の一声で増えたり減ったりする紙切れに過ぎないのは金融マンである程良く知っていて然るべきだと思うが、結局はマネーが大量に巡っている所に身を置く事で、年俸が多少高かろうが都心の高級マンションに住んでようが何だろうが、マネーに心を奪われて花が美しい等と感じる感性を失ってしまって居る時点で、マネーの瘴気に人生を支配されてしまっている人種が過半なんだな(そして自分もその一人だった)と言う事も実感し、ある意味異常な世界に居たのだなと、ふと痛感した。今考えると、品性もないし、つまらない世界だし、つまらない人生だなと、あじさいを眺めながらふと感じた。

ただ救いなのは、本当にまともな投資家や投機家はこの辺を良く理解している面がある事である。

「(マネーは)彫刻家が粘土や銅に持つ興味と同じようなものだ。私はそれを使って仕事をする訳だから。」
「金儲けのための金儲けは空しいと言う事だ。」
「カネがあってもあなたの事を愛してくれる人の数が増えたりはしないし、より健康になれたりもしない。」

これらのセリフは、最初の二つがジョージ・ソロスの発言、3つ目がウォーレンバフェットのセリフである(注)。

こう言う本物と将来仕事をする事、こう言う事をきちんと分かっている友人を大事にする事、あるいは自分自身がこう言う事を理解してあじさいの花を愛でながら相場の仕事をする事にフォーカスしておけば良いのかも知れないと、これまた紫陽花越しの遠くの海を眺めながら、ふと思った。

(注)出所は以下の書籍。表面的には全く異なるスタイルと言われて居る長期投資家のバフェットと、比較的短期のトレーダー的なやり方をすると捉えられている投機家のソロスに共通する、投資家/投機家としての心構え、習慣がまとめてある。良書であり、お勧めである。

0 件のコメント:

コメントを投稿