2010年8月31日火曜日

8月31日:本当に夏の終わり。

夏の終わりを、本当に久しぶりにじっくりと味わったように思う。今まで仕事をしていた頃は、夏なんてあっという間だった。平日は流れるように過ぎてゆき、週末の土日を何度か過ごしたら終わりである。

そんな訳で、クーラーの効いた部屋で麦茶を飲んで本を読みながら昼寝する時間の心地よさだとかをじっくり味わい、こんなに夏をじっくりと噛みしめるように、(相場のフォローや名刺のデータベース化とかを適度にしていたにはしていたとは言え)特段何もしない時間も大切にしながら過ごしたのは、もの凄い久しぶりのように思う。

夏と言えば、社会人になってからは勿論普通に仕事して、土日が何度か来て終わりだった(それも大体投資の勉強とか、CFAの勉強をアーリースタートで開始とかしておしまいだった)。バケーションを取るにせよ、適度に1週間位海外旅行とか行ってスキューバダイビングとかして終わり(これはこれで良いし、そう言えば最近スキューバをやってないので復活させたい気もするが)。大学生の頃ですら、バイトしたりとか、もうちょっとバタバタしていたと思う。高校生の頃も1−2年は部活をしていたし、3年は大学受験があった。多分、(やる事と言っても夏休み終盤にやっつけ仕事で宿題を終える位のもので)本当にゆっくりする夏休みと言うのは、小学校とか中学生とか以来のような気がする。
仕事もぷー、私生活も離婚して、清算し切って何もしない夏の日々は、何気ない夏の車道も、何だか愛おしかった。大して悩む事もなく、何気ない夏の車道や歩道や空の鮮やかさが良いな等と思えるのは、結構贅沢な事だ。
最近は当たり前の公園の景色も。仕事に戻れば、こう言う景色をただのんびり眺める頻度も減るだろう。とは言え社会復帰しても、土日は経済誌やiPhone持って自然の多い所にでも籠ろうかとも思う。iPhoneでFTもBarronsもMadMoneyも観られるようにしてある。四季報もiPhoneの手許にある。電波が通じる場所であれば、土日に都内に居なくても大概のリサーチは可能だ。
入道雲を、もの凄く久しぶりに長時間、ただ眺めていた。子供の頃、宮崎駿の映画の「天空の城ラピュタ」を観て、雲の向こうにラピュタがあるのかも知れないと思うとなんだかワクワクして、ただずっと観ていたような気がする。そう言う子供時代の何気ない日常の思い出を、ふと思い出した。昔の事を思い出すのはとても久しぶりのように思う。
時々お茶をしていた海の家も、今日でおしまいである。
普段は酒は殆ど飲まなくなったのだが、さすがに海の家が最終日の8月31日だけは例外。過ぎ行く夏を惜しんで結構飲んだ。
日本の湘南の海とか言うと身近過ぎてちょっと軽く見られる事もあるのだが、こう言う夕暮れの写真が簡単に撮れる景色が広がっている。It's like heaven、とこの夏、朝のジョギングの朝焼けや江ノ島の向こうに見える早朝の富士山を観て、あるいは夕陽を観ながら散歩して、何度も呟いたように思う。貴重な時間だった。
海の家の一角にある、アジアの屋台街のような場所。タイ料理を頂いた。本場のアジアのようなこのにぎわいも、今日でぱたっと終わり、明日からは普通の砂浜に戻る。この「一夏の夢」のような感覚がジャパニーズ「あはれ」である。お祭りの感覚だ。その日はとても非日常の感じがするんだけれども、終わってしまうと何事も無かったかのように翌日を迎える。そして夏祭りが終わる頃には夏休みも既に佳境である事を感じる。そう言う儚さのようなものが美しい、等と言う事を子供の頃から考えて居たような気もするし、子供の頃からそう言う事を考えて居たと言う事を大学時代のガールフレンドと話していたような気がする。

何もしないでのんびりしていると、ふとこう言う昔のちょっとした思い出を思い出す事が増えるようにも思う。たまには心の洗濯で、良いのかなと思う。

この夏のラスト公演と言う事で、ファイヤーダンスショーを再びやっていた。この炎や女性の美しさがまた、今日で夏が終わりなのだと言うはかない感覚と相まって、ジャパニーズ「あはれ」に訴える。シロウトの撮るデジカメ写真でもちょっと面白い絵が撮れる。無料で観られたのだが、おひねりを1000円渡しておいた。彼らの打ち上げの飲み代位にはなってくれるかな。
ファイヤーダンスショーが終わった後も、子供達が夏を惜しむように花火をしている。そう、子供は今日が夏休みの最後の日である。親御さんがこれに付き合ったりしている絵もちらほらあった。こう言う両親は偉いなーと思う。親の感覚(筆者の仕事をしている時の感覚)で言ったら、8月31日なんて、普通の仕事や家事のある日常に過ぎない。子供の目線で季節を感じて、子供の夏休みの最終日は仕事をちょっと早めに切り上げて、過ぎ去ってしまう夏、明日から学校の日常に戻ってしまう感覚を一緒に偲ぶ、と言うのは結構、心が豊かな親でないと出来ないようにも思う。海べりでこう言う育てられ方をした子供は多分グレないだろうし、真っ直ぐ育つような気がする。筆者も相場に関わる仕事を何らかの形で続ける事になると思うが、相場にさらされながらこの「心豊かな親の感覚」を将来において持つ事が出来るかについては正直自信が無い。しかしこういうバランス感覚は必要な事のようにも思うし、チャレンジのようにも思う。

人間、仕事が充実していて本気で取り組める仕事である事も、それが一日の半分、つまりは大人になってからの人生の半分位を占めるだけに重要だと思うし、「仕事は適度に別に置いといて、趣味を楽しもう」と言うのは筆者は賛同し切れないものがある。人生の半分が退屈で、土日だけ多少楽しくても、結局人生不完全燃焼のように思うからだ。

しかし、仕事だけが人生ではないし、相場の仕事をしていると相場中毒になり易い事を考えると、筆者の課題はむしろ「相場/仕事の外にも、例えば誰かの恋人、子供が出来たら父親、あるいは一人の時間を持ってゆったりする個人」と言った、充実させる価値のある色々な側面が自身にはある、と言う事を自覚する事のようにも最近思う。

ちなみに、デジカメをわざと逆光にして上の写真ような光の効果を出すのは筆者の趣味である。なぜと言われても困るが、こう言う光の効果が好きなのである。

海の家も終わりに差し掛かって、一人滞在先に帰宅。これ日本で、都心から1時間ちょっとの場所である。非日常的な瞬間は案外身近な所、そこかしこにある。
昔のウォンカーウァイの映画みたいと言うか、昔筆者が好きだったクリストファードイルの陰影系ピクチャーになった。殆ど何の効果もかけなくてもこう言う陰影の利いた絵が撮れるのは少し嬉しかった。ちなみにiPhoneのデジカメはデフォルトだとズームやエフェクト等がかけられないし、上記はふちを少しぼかしているだけで殆どなんの効果もかけていないが、安価なソフトウェアを入れると色々効果を付けられる。シロウトでも色々楽しめるのがいい。
左上の丸い白い光は月の光。適度にほろ酔いである。

こうして、離婚してぷーになった、筆者の三十ウン歳の夏は過ぎて行った。夏の殆どは何気ない日常を過ごして、例えば名刺や昔の仕事のノートの整理だとか、例えばその合間にカフェや海の家で一服したりするだけの、何気ない事をしていただけだけれども、じっくりと仕事や人生の棚卸しをし、海や空や山を眺めながら何もしない時間を楽しみ、夏のクーラーの利いた部屋に麦茶に読書に昼寝が気持ち良いと言う子供時代の思い出を思い出したりなぞし、同時に生活習慣を社会復帰後もワークするようなよりミニマムでシンプルなものに改善して行き、シンプルな暮らしにしてゆく事が出来た。

何気ない日々だったけれども、後になったら多分、こう言う何気ない夏の日々が記憶に残るようにも思う。例えば子供の頃の夏休みに友達と入道雲をただ眺めながら、ラピュタのような冒険を夢見ていた時間がやけに記憶に残っていたように。

おお、久しぶりに筆者としては相応におセンチな文章を書いてしまった。微妙に赤面ものだが、ほろ酔いなのでご勘弁を。

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