2010年10月25日月曜日

書評:エンデの遺言

エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」 [単行本]


今更だが改めて読んだ。これは必読だなーと改めて実感。お金を、交換機能、価値尺度の機能、価値保蔵機能、投機の機能、支配の機能、と分けて書いてあり、正に「根源からお金を問うて」いる。自然の法則に反して価値の減衰しないマネーに「利子」が付される事でどのように世界の運行に作用しているのかを的確に指摘している。


曰く、マネーと言う元来公共財、公共道路に当たるものに、保有する事で私的な利子が付いていると言うのは、「高速道路に勝手に無料で入れて、しかも道の真ん中に車を止めて、”君ら急いでるんならカネだしな、そしたらどいてやるから”と言えるようなものだ。」「マネーを持つ者は圧倒的に有利に立てる。一般財(農作物や消費材等)は時間と共に価値が減衰するから売り急がないといけないが、お金のオーナーはキャリーコストが一切かからず価値が減衰しない上、利子を取れる。チャンスの時だけ動いて、有利な機会がない時は寝て待つ事が出来る。交渉において後者の方が有利に決まっているだろう。」と。全くその通りである。


エンデ(モモの作者)やシルビオ・ゲゼル(ケインズのネタ元の経済学者兼ビジネスマン)の意見も、おおもとの所では反論しようがない。「マネーにキャリーコストを付与し、価値の保蔵機能を分離し、お金は純粋に交換機能と価値尺度の機能だけをするべきだ。つまり時と共に価値が減衰して行くお金を作る事で、貨幣の流通測度を上げられるし、お金のやり取りを元来の”信頼とコミュニケーションに基づいた健全なもの”にする事が出来る。」と言う発想は、技術的な面や実際の遂行時の問題等はあるにせよ、おおもとの所で正しいと思う。


ただ、中央銀行制度があり、上記のマネーの価値保蔵機能、投機機能、他人の支配機能により恩恵を受けている、政治力や経済力の盛んな方々が、地域通貨やバーター通貨を容認する事は中々難しい面があるのも確かである。法的に、中央銀行以外の主体が地域限定、用途限定等の別通貨を作ると言うのは、言ってみれば「虎の尾を踏む」行為であり、非常に微妙な所である(日本では違法、アメリカ等では一定の限定のもとで適法なようだ)。特に規模が大きくなると、1930年代のヨーロッパでそうであったように、色々理由を付けて弾圧されてしまうだろう。ただ、米国のイサカアワーの例などは、「イサカアワー流通により地域経済を活発にした結果の一部が、税収増加と言う形で国にも恩恵が及ぶ」と言った形にしており、中々面白い。


面白かったのが、ヘッジファンドの運用者だった人間が、上記のマネーの致命的欠陥を改善するような「減衰するお金」の開発・運営に貢献したりしている事である。シルビオ・ゲゼル自身も元々はビジネスマンで、マネーの特筆を巧みに利用してビジネスの方でも利益を上げて、それを元手に社会貢献活動や執筆活動をしている。筆者的にも、これは長い目ではぜひ取り組みたいテーマである。一方で、マネーの特質を突く「マネーと言う幻獣使い」として生計を立てて、一方で社会貢献活動。一見矛盾するかも知れないが、言ってみればハッカーだけがハッカーの手口を理解してハッキング防止が出来ると言うのと同じである。何か出来る事があるのかも知れないな、と読みながらふと思った。


多分、8割がたの金融マンは、「根源からお金を問う事」などはしていないように思う。マネーの本質が分かって居たら、例えばマネーのために魂売るような働き方(あるいはエンデの「モモ」のお話で言えば灰色の男達のような生き方)など普通はしないだろう。でも同業者の少なからずはマネーの(多少高給な)奴隷である。そう言う意味では、まず同業者の「目覚まし薬」としてこの本をお勧めしたい。

そして、元々作家のインタビューなので、例えば文学や芸術等に携わるような、非金融のかたにもぜひ読んで欲しいと思う。非常に分かり易く書いてあるし、マネーが世の中の構造にどのように作用しているのか、「お金とはそもそも何なのか」と言うディープな問いに対する答えが得られると思う。

蛇足だが筆者個人の話もしておこう。筆者も、お金から自由になった瞬間から、もの凄く気が楽になったし、人生に彩りが増したように思う。なので、「目覚まし薬」としてこの類いの本を上位で推奨している。お金から自由になると言うのは、一般に言うような「経済的自由が得られる」とか、「引退出来る程既に稼いだ」と言う意味ではない。精神的にお金に対する執着が無くなったと言う事である。

お金に対する執着がなくなるためには、マネーが人間の精神にどう言う作用をするか、人間の精神の弱い所をどのように突いて来るものなのか、そしてマネーに付け入られ得る自分自身の心の隙間がどこにどう言う形であるのか、と言う点について良く理解しておく必要があるのである。そう言う意味では、エンデの遺言、モモ、と言ったミヒャエルエンデ関連の著作は非常に優れている。また、自分自身を内観する事も非常に重要である。

幾ら稼いでいてもお金に対する欲望・恐怖から来る執着や、他人に対する不信が無くならない限りはお金から不自由である。同業者や株の調査先の経営者等でこう言う人達は沢山見て来たが、一様に「札束にモノ言わせて幸せなフリはしているが、実際は余り幸せそうではない」。もっとみもふたもなく言えば、「こう言う人の催すホームパーティだの船上クルージングだので寄って来る女(あるいは男も)にロクなのが居ない」。ぱっと見美人/好青年でも、損得ばかり考えて居るような人達ばかりで薄気味悪いし会話していてもつまらないのである。これが一番シンプルな「そのコミュニティの主催者や周辺の人達がお金から自由になっているか、やましいままか」のバロメーターである。とは言え勿論お金も持ってなくてお金に対する欲望・恐怖・執着が強い人も世の中沢山おり、これもまたミゼラブルなケースだ。一般の「成功本」「デキる人本」と言うのは、こう言った人達を煽って「皆さん、頑張って厚化粧で心の貧しい姉ちゃん(兄ちゃん)侍らせられる程度の成功者になりましょう」と煽っているだけで、上記の「お金から自由になるには、financial freedomだの引退出来る位蓄財するだのの以前に、精神的にお金に対する執着が無くなり、マネーの呪縛の外に出る必要がある」と言う指摘とそのための方法論が決定的に欠けている。

一方で収入は程々あるいは一般にはかなり少なくても、「マネーによる信用に頼らなくても友人・知人に対する、そして何よりも自分自身に対する自分の内から湧き出る信頼で生きていける」と肚に落ちて実感出来た時点でお金からは自由になれる。一般よりかなり少ない年収でも、上記の本質を捉えて大半の人より穏やかで充実した人生を過ごしている人達に、筆者のぷーの間に多く出会って来たように思う。こう言う人達から、「お金から自由になるのは、自分が”お金から自由だ”と思った瞬間に今直ぐなれる」と言う事を筆者は教わった。また、幸運にして相応の地位や金銭的余裕を持った状態で、かつマネーに対する執着がなく人生で何が大切か良く分かっている人物にもぷーの間に少なからず出会う事が出来、感じ入るものがあった。やはりマネーとは、心理的な作用をする概念なのである。ぷーの期間中に、こう言った事を色々な人達との出会いを通じて感じ取る事が出来たのは、筆者にとって一生の無形財産になったように思う。


・・・そして、お話の「モモ」の、時間泥棒とか灰色の男達と言うのは、やっぱり金利の事を指すのだと実感する筆者であった。

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