2010年12月31日金曜日

2010年12月30日木曜日

書評:愛の話 幸福の話

愛の話 幸福の話 [単行本]


・・・色々書こうと思ったが、細かい話は省略。47件カスタマーレビューが入って星5つと言うAmazon評価に間違いはない。

まずもうのっけから、スタートからして違う。

「今、この世に欠けているもの。それは愛です。・・・しかし、世界中を本当の愛で満たせば、まだ軌道修正できます。荒廃したこの世も、そして悩み苦しむあなたの心も。人が人を愛する意味を一緒に考えましょう。」

こんな文章から始まる。言葉の一つ一つのありようが、何と言うか、美しいのだ。あと写真もむちゃくちゃ美しい。これは惚れてしまう。

そして、美しいだけでなく、深く広い人生経験に裏打ちされた説得力がある。例えば、氏が若かった頃、人生色々あってどん底で、日々の食事代等のお金も無かったような時も、「常に豊かに生きるとはどういう事かを忘れないようにして」フランス語を学び、文学や芸術に触れるようにして、更には「後日に彼らと並び立つ事になった時、貸し借りがあると美しくないから」「彼らにも夢を与えたいから」三島由紀夫等の著名人との交流がありながら、彼らから一切借金をしなかったそうだ。なんと言うかすごい。

さらに、氏の文章は、経験に裏付けされており他人の引用等でなく完全に自身の語彙で説明されている上、定義と結論、生活への実際の適用法等が端的にズバッと本質を突いている。以下に、筆者が特に気に入っているものをほんの一部分抜粋する。


(抜粋)

・恋とは自分本位なものなのです。自分の欲望を満足させるために相手が必要なだけなのです。

・愛は恋から始まります。しかし恋と違うのは、ものごとすべてが自分本位から相手本意になれることです。

・恋は消えて行くもの。愛は残るもの。

・私のことをかまってよ、心配してよ。気を使ってよ。そんな女は、ヤツデの葉っぱに水あめをつけたみたいにベターッと重いのです。愛のルールの基本は、いかに相手に心配をかけないか。愛しあっている相手だからといって、土足で踏み込んではいけません。けじめある関係の中でこそ愛は育つのです。

・どんな時も人が忘れてはならないのが、自分への恥と誇りです。誇りが人をまっすぐ立たせ、心を豊かにしてくれるのです。・・・井戸を枯らしてなるものかという自分に対するいたわりと優しさ、慈しみに裏打ちされた誇りと意地があれば、ひび割れた底は水で満たされ、どんどん人に与えようと言う気持ちになるのです。そして愛のパワーは溢れ出すのです。

・30歳を過ぎて、若さも美しさもなくなった時、ガラクタにならないように自分を磨く事。それが永遠の愛を手に入れ、運命の人と呼べる人に出会う方法です。

・子供ができれば食事も賑やかで楽しい。でも人数が増えた分、後片付けは大変になるし、病気だケガだと心配の種も増えるのです。幸せと同じだけ、面倒が増えるのが結婚と言うもの。毎日がディズニーランドみたいに楽しいと思っていたら大間違いです。

・戦前のまでの日本人は、過程に文化を取り入れるのが上手でした。正月が来たら門松を飾り・・・2月は豆まき、3月は雛まつり、4月は花見。一年中季節の行事があり、そのたびに家の中がパッと華やいで、非日常が訪れる。家族全員が息抜き出来、少々いがみあっていても仲良くやってこられたのです。

(注:これは細かい事のように思えるかも知れないが、筆者的に目から鱗と言うか、反省させられる面があった。仕事、効率化、合理性、と言った事柄にかまけて、こう言うイヴェントをあまり重要視していなかったからである。)

・エロと色気は違います。見える部分を繕って勝負をかけても、男はいとも簡単に見抜きます。

・私たちに必要なのは、「美しく生きる」ことなのです。

・すべてのものには波動があります。美しいと感じるものはいい波動を、嫌悪感を与えるものは悪い波動を出しています。部屋に花を飾り、静かな音楽を流し、美しいインテリアに囲まれて暮らしていれば、その波動で人は勝手に美しくなります。美しさを手に入れるのは実は簡単なことなのです。

・そもそも私たち人間をつくっているのは・・・つまりエネルギー体なのです。キリストやお釈迦様や薬師如来もまたエネルギー体です。ただし、清らかで、温かで、美しくて、厳しくて、強く、思いやりがある、人間の理想像である純度の高いエネルギー体。私たちはそう言ったエネルギー体になることを、目指してこの世に修行に来ているのです。

・この世は、芸能界も、会社も、サークルも、幼稚園のPTAも、成分はみんな同じ。悪意、ねたみ、そねみ、ひがみでできています。それを知っているだけで人間関係はとてもラクになります。

・苦労が絶えない、試練の連続だ、そう言う人は魂の上級試験を受けさせられていると思えば良いのです。・・・自分が自分を育てる親であり、師であり、子でも弟子でもあるのだと思ってください。すると自分を信じ愛する力もわいてきます。

・人間が無事に一生を終えるための5つの条件をお教えしましょう。1、色情に狂わない事。2、口から入れるものに気をつける事。3、金銭感覚を失わない事。4、約束ごとを守る事。5、対人関係は腹6分でつきあう事。

(抜粋ここまで)


・・・等等。こう言う、有り難い言葉が次々に目白押しである。口触りの良い上っつらだけのポジティブシンキングではなく、厳しい内容、達観した内容も包含して本当の意味で地に足の付いたポジティブな内容である。

昨今の大人で、こう言う人生における大切な事を、他人の受け売りではなく、自身の人生経験や圧倒的な内省を通じて、ビシっと端的に述べられる人は大変に珍しい。元来、「大人」とは皆この位成熟している人を指すものだ。筆者も、美輪明宏のような大人になり、シニアになりたいなと思った。芸術等にやたら詳しくて、ボーイフレンドが沢山居て、女性の服装をして、と言う表面的な事じゃなくて(^^;)、生き様として「ちゃんと人生の大切な事を自分の経験に基づいた自分の言葉で、媚びずに説教臭くならずに後の世代に淡々と伝えられる人間」になりたいと言う事だ。

人間、悟りを開けるまで何度も生まれ変わるそうで、浅ましい人間程「人間として生まれ変わった回数が少ない」「ちょっと前までは虫類とかだった」らしい(美輪明宏氏のこの著書でも上記の一例の通りで記載があるし、斉藤一人氏の本でも同様の事が書いてあったように思う)。それで行けば、美輪明宏氏はだいぶ何度も生まれ変わったあとで、かなり「仏様の域に近い」感じがした。だから幾つになっても美しいと言うか、TVの演出と言う事でなく、何となく後光が感じられるのかも知れない。

筆者はこの著書1冊で、すっかり美輪明宏のファンになってしまった。「心に文化と言う名の滋養、ビタミンが必要」と思った際にはお勧めの一冊。美輪明宏氏自身、「世の中の人々の心に、愛と文化と言う滋養を提供する事」をミッションにされているようで、実際に沢山心の滋養を受け取る事が出来る。中古で1円で売っているが、もの凄い割安高リターンのバリュー投資になるだろう。

・・・と言う訳で、「ロハス金融道」の副読本として採用である。

2010年12月28日火曜日

本日の名言

なにごとも斬る縁と思ふ事肝要なり。よくよく吟味すべし。

(どんな動きであれすべて相手を斬る手だてにほかならないと思う事が大切である。よくよく考え尽くすべきである。)

宮本武蔵

2010年12月26日日曜日

書評:HAPPIER 幸福も成功も手にするシークレット・メソッド

「ロハス金融道」のコーナーを作ったら、その教科書のような本を発見。


最初に断っておくが、筆者は「ハーバードナンバーワン」とかそう言う本は基本線嫌いである。性格として、権威主義的な雰囲気の漂う組織は嫌いだし、基本線、筆者は「ビッグマウスビジョナリーエリート路線」より、「いぶし銀実務家路線」を好む面もあるからである。

また、出版社が残念な面もある。こう言う組織にこう言う本を出版されて、「胡散臭い宗教じみたもの」と勘違いされるのは困る。この本の著者も宗教だの神だのの話は一切していないし、当ブログ筆者も宗教に関しては完全にニュートラル、無宗教者である。この点お断りしておきたい。

しかし、上記の点差し引いても、非常に良書である。

本の内容だが、一言で言えば、「小さい頃から優秀な成績取って、履歴書華やかにして良い会社入るためにクラブ活動やスポーツや社会貢献活動も頑張って、コンサルだの投資銀行だの入って、ハーバードなんか入っちゃって、成績競争して、卒業後はマネジングディレクターになれるように出世競争に明け暮れて、あなた本当に幸せですか?ちょっと人生のありよう考え直してみませんか?もうちょっとバランスの取れた調和した人生を過ごしてみませんか?」と、ハーバードの生徒の脳みそを根底からシェイクし直すような内容である。いい事だ。

より具体的には、肯定心理学(ポジティブサイコロジー)の分野から、ハーバード行くようなロジカル万歳君/さんでも納得感があるように、ある程度学問的な裏付けを伴った形で上記を遂行している。競争競争に明け暮れる事で鬱病患者等の数が増えていると言う問題意識が背景になっているのであろうが、「肯定心理学」と言った学問分野が既にあると言うのが、アメリカの凄い所である。日本はこの分野でも全然遅れている事を痛感した(お国柄的には、元来日本の方が発展していて然るべき分野のようにも思うのだが)。

ハーバードのお授業らしく、本書はまずは「幸せ」の定義を、縦軸(利益/不利益)&横軸(現在志向/未来志向)のマトリックスで説明する所から入って居る。

1、出世競争型。未来の利益志向かつ現在の不利益志向。

現在を犠牲にして、未来の成功のためにガツガツ頑張り続ける。プロセスを楽しむ事を重視せず、結果だけを重視する。将来良い大学に入るために今を犠牲に勉強しましょう、良い会社に入るために大学でも勉強したり履歴書を飾れるようなスポーツやボランティア等しましょう、マネージングディレクターになってアーリーリタイヤできるように頑張りましょう、でもって実際成功しても「思ったより幸せじゃないな」と落胆する、のパターン。

2、快楽型。未来の不利益志向かつ現在の利益志向。

酒、ドラッグ、南国やインド等でうだーっとし続ける等の類いが典型。アリとキリギリスで言う所のキリギリス。出世競争型が引退したりクビになったりすると一時的にこれを大体経験する。しかし、本書にある通り、「目標も、挑戦すべきことも無い人生は、私たちを決して幸せにはしません」。

3、悲観型。未来の不利益志向かつ現在の不利益志向。

過去の失敗等を反芻して、それをそのまま未来にも引き延ばして(統計や予測の際にもよくやってしまう間違いだ)、「今もこれからも不幸だ」と考えてしまうタイプ。出世競争型が壊れて来て快楽型に陥り、でも幸せでなくて悲観型に陥る、と言うパターンが比較的よくみられる。

4、至福型。未来の利益志向かつ現在の利益志向。

現在の利益(=喜び)と、未来の利益(=意義)を同時に体験出来る状態の事。チクセントミハイのフロー状態等も、「至福型」に基づくもの。本書曰く、「ときには未来のために現在の利益を差し控える事があっても、可能な限り多くの時間を、現在の利益と将来の利益を同時にもたらしてくれる活動に振り向けるようにすることです」。その通りである。

でもって、4の至福型こそが、「幸せ」であると定義して、以降は如何にして「至福型」の幸せに到達出来るかについて記載してある。例えば以下の通り。

・内なる声に耳を傾ける。

・実生活マップを作って、幸せな事柄をより増やし、余分な事柄(受けなくて良い用事、余分なテレビやネット等)を減らす。

・究極の通貨は「幸せ」であり、常に上記定義の「幸せ」が増大する意思決定をする。お金の多少は、生活必須水準を超えると殆ど「幸せ感」に関係ない(心理学データ等出しつつ説明)。

・「出世競争型」から「至福型」にシフトする事で、動機付けが弱まってしまったり、意欲が薄れる事はない。人間、元来備わった向上心が案外あるものなので、この点安心する。

(注:これは「出世競争型」から「至福型」にシフトする際に恐らく多くの人が不安に思うだろう点であるし、筆者も不安に思った時期もあったので、非常に良いポイントを突いている。筆者も、キリキリ「上」を求めていた生きかたから、「今日も楽しく明日も良くなる」と言った生き方にシフトする際、「こんなにこにこマイペース君で一体金融のフロントの仕事なんかやってられんのか?」と不安になったが、今の所特段問題はない。むしろ余り疲れずに続けられる感すらある。)

・「難し過ぎず簡単過ぎない”ちょっと背伸び”」な目標を立て、それに取り組んでいる今この瞬間に集中する。

・結果だけでなく、プロセス・過程も重視する。目標は達成する事よりも、それを持つ事の方が重要。過程自体を楽しむ。

・過程を楽しむためにも、予定を過剰に詰め込み過ぎない。創造性が落ちる。ヒマ過ぎず、忙し過ぎず位に調整する。

・MPSプロセス(意義を感じる事柄、喜びを感じる事柄、得意な事柄を列挙して、全てを満たす活動を探す)を通じて、天職を見つける。

・仕事が楽しくなるように、変化を起こす。変化を起こす時に必要なのは勇気であり、勇気とは、「恐れない事ではなく、怖いけれども、とにかく前に進む事」である。(これ名言である)

・幸せな人間関係を築く。そのためには、まず「コア・セルフ」(=真の自己)を認識し、まず自分自身がそれをちゃんと愛する事(なるしーと言う意味ではなくて、ちゃんとしたself esteemを持つと言う意味で)。その上で、相手のコア・セルフを無条件に愛せて、一方で自分のコア・セルフを無条件に愛して貰える、と言った関係を構築する。

・上記関係を構築するために、「評価して欲しい/評価する」から「知られたい/知りたい」にシフトする。

・感謝の手紙を書く。

・瞑想をする。

・自身の恐れが、自身の闇にあるのではなく光にある事を認識する。(幸せな事が立て続けに起こると、次は不幸な事が来るんじゃないか、この幸せは自分に分不相応なのではないか、と言った不安が生じると言うのが典型例。)自分はちゃんと幸せになって良いのだ、と言う事を実感する。

・自分の幸せを大切にする。自分が幸せになる事と、他人を幸せにする事はゼロサムゲームだから矛盾する、と言った考えが間違っている事を知る。自分が幸せになる事と、他人を幸せにする事は、例えば自分のローソクの火を他のローソクに灯しても自分のローソクの寿命が減ったりする事はないのと同じで、両立する。むしろ自分が元気で幸せだと、周囲にもシナジー的に良い影響が出る。これを理解する。


・・・こう言った事が色々具体的に、エクササイズ付きで述べられた後で、最後に、締めとして6つのポイントを要約。

・自分に人間として生きる許可を与える。自分の感情を素直に受け入れる。
・幸せは、意義と喜びが交差する場所に横たわっていると理解する。
・幸せは、社会的地位や預金残高などにではなく、心の状態に依存している、と言う事を忘れない。
・生活を単純にする。
・心と体の密接な繋がりを忘れない。運動、睡眠、健康な食習慣等を大事に。
・可能な限り頻繁に感謝を表明する。

以上、出版社はちょっと正直「勘違いされると困るなー」と言う面があるものの、教科書風に「ロハス金融道」で考えているような内容が非常によくまとまっている。

今日の名言

知識を愛に満ちたやり方で応用する事が知恵なのです。

Unknown

2010年12月25日土曜日

「ロハス金融道」への誘い

さて、Twitterで呟いていた通り、今般、「ロハス金融道講座」と言うコーナーを新たに試みてみようと思う。今回は、当コーナーを思いついたきっかけ、背景から書いてみる。


「ロハス金融道講座」のきっかけ:

・思いつきの発端は、巷の金融小説あるいは金融とかマーケットへのステレオタイプなイメージに対するアンチテーゼである。

「俺様はん千億円を動かす凄腕のBig swinging dick(「大暴れデカち○こ」と言った所か、日本語訳は)で、カネ、女、スリルとサスペンスでうんだらかんだら」みたいな話ばっかり。勘弁してよと。まあそう言う人もたまに居るけれども、そうでない人間も居る。金融マンから、もうちょっと違う雰囲気の事柄を発信したいと言うのは、前々から考えていた。

そんなこんなしているうちに、「ロハス」と言う、「金融フロントオフィスのイメージとは対極にあると一般には考えられている概念」と、「金融道」は、決して矛盾しないと言う事を発信したい、とふと思い当たった訳である。


・湘南時代での約束・アドバイスでもある。

Ano-ano

こちらのLili-san

と、「anoanoシンガポール支部を作ろうぜ」と言う話をしていたので、何かそう言う事が出来ればいいなと言う感じである。

自然体で、自然の流れと共にある生き方。それを、金融、マネーと言う、「自然体とか自然の流れと共にあるとか言う話と元来対極に扱われがち」である一方で、「自然体である際にしっかり考えておく必要がある概念」の観点から、何か発信出来ればなと言った次第である。

筆者からすると、マネーの存在、その構造、そしてそれに対する多数の人々の心理的対応(主に恐怖と欲望)が、「自然体」から遠ざけてしまっている主要要素である。しかし、マネーの構造と心理面に作用しがちな影響を理解しさえすれば、比較的冷静になれる。マネーの構造、資本主義の構造に多くの人達がどっぷり飲み込まれて奴隷になってしまわないように、マネーの専門家の端くれとして、末席からでも何か発信出来れば、と言う気持ちは前から持っていたのである。

また、占星術の専門家の村上さなえさん

からは、「何か匿名、無料ボランティアみたいな所から、発信を始めてみたら」と言ったアドバイスも頂いていた。
そんな訳で、何か始めてみようかなと言った次第である。


・また、同業者に対する提案でもある。

日系外資系問わず、マネーの使い手であるはずの金融コミュニティを見回してみると、元来マネーと言う幻獣を召喚して、適度に使いこなす立場であるべきにも関わらず、幻獣に完全に飲み込まれていて「マネーと言う虚構の奴隷」「ミイラ取りがミイラ化している」と言った事になってしまっている人々が、全員とは言わないが、少なくないように思えてならない。ミヒャエル・エンデのお話の「モモ」で言う所の、「灰色の男達」とでも言おうか。

つまり、全員と言う訳ではないが、批判を恐れずに非常に物事を単純化して述べれば、以下のような雰囲気が、日本の金融業界に溢れる雰囲気のように筆者は感じていた。

日系金融機関の人々=35年ローンとか組んじゃって身動き取れない。会社の愚痴言いながら映画Matrixの「電気供給電池」として、金融システムにローン返済のキャッシュフローを供給する人生を過ごす。これで人生生き切っていると言えるのだろうか?

外資系金融機関の人々(ヘッジファンドも概ねこちらに準拠)=上記のような人達をバカにして、自分はマネーの本質を分かっているんだと言った事を自慢しながら、結局「幸せとはなんたるか」と言う本質から全然ずれている。結局、誰それが幾ら稼いだとかどこそこに住んでるとか等の他人との比較、引退するために幾ら稼いで金融資産に転換していかないといけないかとかの表面的な損得とキャッシュフロー、そう言う事ばかり考えて人生を過ごしている。そのために、「今」を犠牲にして、大して面白くもない仕事(クソ上司へのおべっかとか、社内の蹴落とし合いへの対応とか、そう言う話)をやって、縮小するパイの残り1−2枚の取り合いやっている。溜まる一方のストレスは、男の場合はカネばかりかかる厚化粧の中身スカスカな姉ちゃん(あるいは、マネーと言う蛍光灯に群がって来る、蝶々の化粧をした蛾とも言える)等侍らせて発散し、女性の場合は市中の不甲斐ない男性陣を愚痴りながらも「カネも持ってて人柄も完璧であーたらこーたら」な白馬の王子様を期待してみたりして発散して、何とか日々を凌いでいる。本当の「心底充実した人生」と言うのはどこにあるのだろうか?

・・・上記はまあ、かなりステレオタイプに単純化した例であり、皆がこうだとは言わない。しかし、少なからず散見される姿ではある。

筆者は、どちらもあるべき姿ではない、と考えている。
そんな訳で、上記どちらでもない、「第三の道」的な、金融プロフェッショナルのありようを、例によって業界の末席からでもささやかながら何かしら模索、発信出来ないかしらん、と言う試みをしたくなった、と言う次第である。

まあ、実際の内容は、こんな大仰な話とは程遠い、「ちょっとした節約Tip」とか、そう言う話に帰着しそうな気もしているし、例によって更新頻度はスローだとは思うが、まあそこは無料のブログだし、ご愛嬌と言う事で、何卒宜しくお願いします。

今日の名言というか迷言

(同業者と話していて)

筆者:最近、ピアノの練習を始めたんだ。リラックス出来て、歳を取っても出来て、むしろ歳と共に年輪が増えて行ってふくらみが出る、みたいな事がしたくて。

同業者:「それが何の得になるの?」 (←本日の迷言)


・・・読者諸兄については、間違ってもこう言う同業者にはなってはいけない。

趣味に損も得もない。別に趣味がキャッシュフローを生む必要などない。やっている瞬間幸せで、ああ楽しいなあと思えて、練習すると共に段々上手くなり、音楽で感情を表現出来るようになり、歳を取るのがちょっと楽しくなり、心が豊かになる。that's itだ。敢えて言うなら充分な「効用」を得ており、大いに「得」だ。

もうちょっと言うなら、ピアノの練習と相場の鍛錬は少し似ていて、「苦手な所に焦点を絞る。最初は指使いを確認して楽譜に記入。その後片手だけでゆっくり、そして、頭で考えなくても指と体が動くまで何度も練習する」と言った態度については、仕事にも充分活かせる。「例えば苦手箇所の検出と言った面では理性の助けも借りながら、頭で考えないと出来ない段階から、体で反応出来る段階、直観で反応出来る段階まで持って行くのが重要」。こう言うのは、格闘技でも、音楽等でも、仕事でも、一緒だろう。

この迷言を聴いた瞬間は、筆者にとって、東京の金融コミュニティからはもう距離を置こう、と思った瞬間であった。

ちなみに、こう言う同業者にはなってはいけないと思うが、筆者としては感謝している一言でもある。上記の通り、東京の金融コミュニティから距離を取り、湘南に移り、シンガポールに移るきっかけになっているからである。

2010年12月20日月曜日

書評:ザ・クオンツ

記者さんの書いた本なので、内容はちょっと薄い面もある。特に統計に関する所は、分からないで書いているなと思われる所も多い。「クオンツ」と皆十把一絡げにしているが、業界に居る人間からすれば、本書内の「クオンツ」は、「本当の数学者、統計学者、物理学者レベル」のクオンツから、「この位文系レベルだから」と言う人までごちゃごちゃである。その辺が混同して書かれている面はあり、その点は残念な面もある。

一方で、クオンツの面々の私生活、性格、バックグラウンド等が分かる点は非常に良い。筆者の知る限り、ケングリフィンやミュラー、アスネス等の性格等まで詳細に書いている本は余り見ない。何せ面白い。この点は評価して良い。ジム・シモンズが暗号解析のバックグラウンドがあり、音声認識等の専門家を多く雇っているなど、筆者も知らなかった。

また、この本は「クオンツ」と十把一絡げにして、「シカゴ学派」のお歴々と、マンデルブロ・エドソープ・ナシームニコラスタレブ等のラインと、ボアズワインシュタインのような「ライアーズポーカーのりの現代版」のお歴々の事が色々書いてある。同業者からすると十把一絡げにし過ぎだ(著者のクオンツへの理解が不足している)と思われる面もある。一方で彼らの「クライシスの際の行動の違い、パフォーマンスの出方の違い」を比較してみると、これ面白かったりする。


シカゴ学派:

市場は一時的に不均衡でも、収斂するはずなのに!俺のモデルに間違いはないのに!バカ共はどこまでバカなんだ!でもどんどん収斂していかないで損失は拡大する。でも不均衡が拡大しているので、手許のモデルでは買い側では猛烈に買いシグナル、売り側では猛烈に売りシグナルが出ている。ダブルアップする(掛け金を乗せる)。運が良いと勝つ事もあるが、ブロウアップする可能性の方が高い。

あのね、こう言うのは業界用語で「バリュートラップ」と言うんですよと忠告したくなるが、シカゴ学派信者はインテリ風で自信満々なので言いづらい。

日本株で言えば、武富士なんかに突っ込み続けてあぼーんしたりするのがこう言うパターンである。バリュー指標だうんだら指標で割安だ言う所から少し離れてちょっと武富士を常識的に見てみれば(アナリストの基本であります)、金利の上限規制など消費者金融業界にとって非常に厳しい規制が定められ、最後の方は過払い金の額が幾らになりそうか(弁護士がどの位必死に営業して債務者がどの位マジで申請するか次第)と言う極めて不確定な要素で大きなBetをする事になっていて、大量に投資するべき会社ではないと言う事は普通分かるものだった。しかし、たまにこう言うのでひっかかったりする御仁が居たりする。筆者の見立てでは多分シカゴ学派だ。

株式に投資すると言うのは、残余財産請求権を取得する、株主として企業の一定割合のオーナーになると言う事だ、と言う常識が乏しいと言うか。でもってそのままで、買いサインが出ていてソコソコAUMもあるもんだから、どんどん買って行ったら大量保有報告に出てしまうとか。こう言う事は案外あるように思う。

確かにクオンツ分析+PCのディスプレイで発注+エクセルや社内損益Webでのみポジション数や損益確認、と言う仕事フローで、扱う額だけ機関投資家的に大きいと、株券の向こう側の企業の経営者や従業員や資産や負債やと言うのが見えなくなりがちなので注意は必要だし、筆者自身あまり他人事ではないとは思う。以前勤めていた会社でも、事業会社からすると大株主上位に出ていて「おいおい、何の経営てこ入れとか要求して来るんですか」と戦々恐々な一方、当の運用会社側では「打診買いに毛が生えた位だった」(ポートフォリオ内ではそんなに上位保有の銘柄じゃなかった)と言う事も無きにしもあらずであった(今考えると、こう言う状況こそ、「運用会社バブル」だったのだろう)。こう言うのは注意しないといけない。にしてもしかし、シカゴ学派べったりだと、とりわけこう言う事がありがちな感じである。

LTCMがロシア債に大量投下してしまったのやら、割安の既発債の国債買って割高の新発債売ってとかも、典型的な「シカゴ学派の失敗」である。普段はいいんだけど、ロシアがデフォルトしないだろうと言うのに大した情報優位もないのにオールインするのは無謀だったし、流動性自体が価値を持つ事があると言う点への配慮が足りなかった。

また、中小型ロングの大型ショートで一時期一世を風靡した幾らかのヘッジファンドも、本人は「泥臭い定性調査も凄いしっかりやってるし、クオンツじゃないし、学者風情じゃない」と思っているだろうしシカゴ学派だ等とは思って居ないかも知れないが、案外根底にあるのは同じである。つまりは小型株の高利回り(=低PER)と大型株の低利回り(=高PER)のバリューの格差が収斂する、と言う所にナイーブにオールインしていた訳である。割安である事を機械的に買いと判断し続けて、「流動性自体に大きな価値が出る事がある」と言った重要な点を見落としていた。割安は勿論良い事だし、概ねの時分には買いサインだが、割安であればいつも良い訳ではない。結局の所、新興市場買いのラージキャップ売りのポジションで、しかも流動性リスクを取れるだけ取って居たので、新興市場バブルが終わったら身動き取れなくなってしまった。「流動性の対価として高い利回り=安いPERを自分は享受している」「いつかリスクテイクよりも流動性・換金性が選好される時機が来ればブームは終わる」事を意識してこう言うポジションを一定の時機に取るのは良いが、頭までずっぽりはまって逃げられなくなるまでポジションテイクするのはまずいし、これしかネタが無いのは厳しい。中小型株が主要な持ちネタの一つだった筆者もこれは他人事ではなく、翻って昨今持ちネタの多様化を図っている最中な訳である。

後はそうだな、例えばボラティリティスマイル等も、シカゴ学派の人も恐らく学校では学んでいるんだろうが、実際の意味をよく分かっていないのではないかと思わざるを得ないような行動を取る傾向にあるようである。

例えばスマイル君は、「少ない掛け金で一発大儲け」と言う賭けに対して人間は過大評価する傾向がある(だからみんな期待リターン-75%でも宝くじを買う)から、ディープアウトオブザマネーのオプションのインプライドボラは高くなりがちなのだと考えればシンプルなんだが。人間の心理とか、マネーがどう言った構造でもって右から左に流れているのかと言った面をもう少し考えたら良いんじゃないんですかと声をかけたくなるが、もの凄くインテリ風なので声をかけづらい。

モデルを信じてマーチンゲールの賭けに平気で出たりする。均衡収斂のモデルがワークしていないなら、それはモデルが間違っているあるいは今現在起きている事象をモデルの過去データが押さえられていない、モデルの想定していない事態が起きているのではないか、と言った事に注意を払わない。ベイズ統計をちゃんと勉強しているのか不思議に思う事がある。

上記の通り、モデルがワークしていない時にマーチンゲールで掛け金がでかくなると、モデルが間違っている確率もうなぎ上りに上がっていてかつ掛け金を上げている訳だから破産する確率がどんどん上がるし、クオンツなら簡単にそれは分かるはずなんだが、何故かそう言う事に注意を払わないような面も見られがちのようにも思われる。

「今回の危機は27標準偏差で、1万年に一度のなんたらで」と言った事を平気で言い始める。1万年に一度の事が数年に1回起きているなら、その計算・前提自体が間違っている可能性の方が高いのだが。その標準偏差は、景気が良くって投資家のリスクアペタイトも上がっていてVIXも下げ基調&非常に低い所で横ばいの時をベースにした標準偏差でしょう。世の中「景気が良くって投資家のリスクアペタイトも上がっていてVIXも下げ基調&非常に低い所で横ばいの時」ばっかりじゃないんですな

何と言うか、シカゴ学派どっぷり系の人は、一言で言えば、「部分的にもの凄く優秀で優れているんだが、基本的な所に欠陥のある機械」みたいな所が(スクエニは売りでしょとか言ってるアナログ小市民からすると)ある。

結論としては、「”デブのトニー”的な常識を持ちましょう」と言う事になる。


ライアーズポーカーの現代版のり:

カネだ、女だ、どんちゃん騒ぎだ、俺様はすごいんだ、そしてクライシスでぺしゃんこになり、イキがって独立してもお金が集まらない。そう言うパターンである。

早くからCDS市場に関わったりして、「良いタイミングに良い場所に居た」と言うのを、「自分の実力」と勘違いしたり、「投資銀行のプロップマネーん百億ドルだの円だののブック」を「投資銀行のブランドや格付けのもと調達出来ているお金じゃなくて自分の実力」と勘違いしてしまうと、こう言う事になる。

ヘッジファンドで独立する時にはですね、お客様の大切なお金を預かる訳だから、(別に卑屈に安売りする必要はないが)サービス業を提供する、お客さんに信用・信頼して貰うと言う観点も必要なんですよ、と小市民は言いたくなるが、威勢が良過ぎて言いづらい。

良いタイミングに良い場所に居るのは大事だが、自分の実力で俺様は凄いんだ的勘違いは危険である。

結論としては、「与えてくれた幸運に感謝して、幸運を享受しよう」と言う事になる。

一時的でもうなるような年俸貰って、美女連れ回して、引退出来る位蓄財もあるんだったら、一発屋だったってラッキーだし凄い事じゃないか、落ち込む事はない。気候の良い所でワイナリーでも経営して、友達でも呼ぼうじゃないか。ずっと朗らかで幸せな人生が待っている。加えて社会貢献活動でもやれば完璧だ。


マンデルブロ・ソープ・タレブ派:

普段、上記のような「にわかクオンツ」が大儲けしているのを苦々しく見ている。普段目立たないが、クライシスが起きると、もの凄い勢いでリターンを出す。大体ガンマロングをしている。ソープについてはネガティブガンマ的なポジションも取るが(氏はCB Arbが有名)、天変地異などブラックスワンの発生に対して非常に敏感で慎重である。「これはアレだな、アレかも知れないな」と言う際にはポジションをたたんだり、資金を顧客に返還したりする。

一方で社会性が微妙に欠けている面がある。ソープのように家が実験おもちゃ箱みたいになっている、と言うのは数学者らしくて可愛らしい社会性のなさで無害な一方、結婚式でも隣の席のクオンツに批判を始めたりする始末なのはちょっと迷惑である。あなたが凄い事は一定以上のこの業界の職人の多くは分かっているので、もうちょっと社会性を発揮しましょう、タレブさん、と小市民は言いたくなるが、言ってる事自体は正しい上に知性・見識とも(小市民とは)レベルが違い過ぎるのでこれも言いづらい。

そうは言っても、高い数学的素養と、現実への対処のバランスが取れている。

結論としては、「後は結婚式では朗らかにするのがマナーだとか、もうちょっと社会性を身につけられれば満点、あともう一歩」と言う感じ。

・・・筆者的には、こう言う事を面白がってまとめられたので、良書である。右の書籍一覧にも掲載した。興味のある方は年末年始の読書にどうぞ。

2010年12月18日土曜日

自分でアノマリーを作ってしまった:9684スクエニ



「ぷーで仕事等の利害が全くなかったため、儲かる情報を、世間に無料で思わず発信しちゃいましたアノマリー」を自ら作ってしまった。しかし美しくキマったなこれは。珍しく(爆)。

こんな具合で、必ずしもファイナンスにすごい詳しいとかが全てではなく、「ファイナルファンタジー14の出来がひどい」と言った情報、土地勘でも勝負出来る好例ケーススタディになったかな。

「難しくやろうとし過ぎずに、自分自身が詳しい分野で勝負する事が重要。稼ぎのタネはどこか遠くにあるのではなく、自然体、等身大の自分自身の中に実はある。」

投資や株の初心者のかたには、9684のケースでもって、この事をお伝え出来ればと思う。

またスクエニには、今般の株価を見ていい加減反省してもらって、FF10を越える名作を真剣に作って欲しい。

結局、ゲーム会社は、ユーザの心に響く名作を作って初めて企業価値が高まるのである。そして、名作を作り続ける事で初めて「ブランド価値」と言うintangible assetがバランスシートの見えない所に乗り、株価も継続的に上昇する事になる。足もと云々に煩いアナリスト達に迎合して四半期業績作りを小手先でやらずに、「世界中のユーザに感動を提供する」と言う原点に戻って欲しいと思う。今般の株価下落は、いい薬だろう。

FF10からもう4作も名作がなく(しかもうち何作かは明らかに駄作)、4回ファンは裏切られている訳で、そろそろ過去のブランドも崩壊して来てるよね、と言う事を、株価は素直に反映している。

元々、Final Fantasyは、ゲームが中々売れなくて、もう会社潰れるしかないな位の時に、これが「最後の夢」だ!と、満身創痍の状態から渾身の一発で出た作品である。確かに、初代のFFには当時としてはそれだけの斬新さと面白さがあった。その後もFF10位までは、多少のクオリティ上下や当たり外れ、賛否両論はあったものの、どれも看板ゲームに相応しいクオリティで、映像、ゲームシステム、ストーリーの深さ等、やはり他のゲームと比べて次元が全く違うものがちゃんとあった。元々は、FFは決算対策の小手先ゲームではなかったのである。

こう言う情熱の込め具合の多少と言うのはやっぱり、どうしようもなく作品のクオリティに出てしまうように思う。スクエニは、今般の事に反省して、三顧の礼で坂口博信氏や植松伸夫氏等のメンバーを呼び戻すとかして、彼らに裁量や権限を与えて、初心に戻って「Final Fantasy」を作る必要があるのではないだろうか。今回でも結構「終わっている」感じもするが、次回外した日には、もうFFのブランド価値に明日は無いようにも思う。

あとごめんなさい、現在既に仕事しているので、今後こう言うアノマリーは無いと思います。
ドアは既に閉じてしまいましたと言う事で、今後上記のような話を期待されているかたには、今後それはないと言う事でご理解賜りたく存じます。

2010年12月17日金曜日

雑談:パエリア完成!!!:)

これからホームパーティーなのだ。30−40人位集まるらしい。

主催者の女子に「手料理を作って来て欲しい」と言われたので、パエリアを作る事にした。フライパンと炊飯器だけで作れる、簡単なやつ。ロハスな筆者らしく、オーガニック玄米で、野菜たっぷり、肉は入れずに作ってある(魚介はダシが必要だし見栄え的に入れたけど)。サフラン(色付けるやつね)も明治屋に売ってた。ちょっとご飯に一部芯が残っている所が時折あるが、そこはご愛嬌だ。炊飯器料理だと、水加減が難しいのだ。魚介や野菜からも水分が出るため、普通に水を入れると入れ過ぎでべしゃーっとしてしまう。余り水が足りないとふっくらしない。これは、筆者のトレードスキルの向上と並んで今後の改善目標だ。

さて、これにシャンパンでも持参すれば良いかな。

ああそうだ、ドレスコードが「クリスマス」なんで、赤い服着てサンタの帽子も買わないといけない。

いちきますー

2010年12月14日火曜日

シンガポールメモ:ち、ちょっきー!?

こ、これありなのか!?


ジャイアントちょっきー。


ちょっきーっすか。。。

商標権とか、そう言うのって一体、、、

表示を観ると、製造元はタイ、distributionがマレーシアかどっかの会社だった。
買ってる筆者も筆者だが(ちょっと引け後のおやつが欲しかったんだ)。

味は、、、ちょっといちごちょこの色がテカってて添加物多めな感じもしたが、殆ど本家と違和感なかった(汗)。

本家本元よ、訴えなくていいのだろうか、こう言うの。。。
というか、CHOCKYの脇に小さく商標のRマークが付いてるのは、気のせいか?
Chockyで登録しちゃった、つう事かな。。。

2010年12月11日土曜日

シンガポールメモ:ショートショート

○凄い日本語訳。

・・・全粒粉の小麦で作られた、健康なラーメンの表示。

Free from colouring,synthetic flavourings, sugar or preservatives. Non-GMO.
無添加、非遺伝子組換え、厳選素材使用、有機的な食品とお届けします。

・・・どれもとっても良い事だ、しかしグーグルの日本語訳みたいな、文法まつがえ感が何ともいい味を醸し出している。多分、翻訳ソフトで訳したのそのまんま製品表示に使ってしまってる感じだなこれは。

Keep in cool and dry place. Away from direct sunlight.
クールで乾いた場所に閉じ込められてください。直射日光から遠くへ。

・・・「クールで乾いた場所に閉じ込められてください」。意味は通じるんだが、何か笑える。筆者でも通訳になれるな、シンガポールでなら(爆)。

商品表示はこんな具合で、相当混沌としている。英語、中国語、韓国語、日本語辺りがごちゃごちゃである。上記のように複数言語で翻訳が入って居るのは結構良い方で、お菓子なんかだと韓国や日本からそのまんま輸入して来たんだな的なものが沢山ある。お菓子の分野は、明治とかグリコとか、カルビーとか、日本でおなじみのメーカーのものが結構あちこちで目に入る。韓国だと、CROWNとかロッテ等が目立つ。全部韓国語でメーカーが分からなかったのだが、日本のきのこの山とそっくりな韓国語表示のお菓子もあったりする。

あとは、「日本のメーカーじゃないのに、日本語表示のお菓子」なるものも散見される。日本=高品質、と言ったイメージを流用しようと言う試みかも知れない。


○儲かる商売

ハーゲンダッツ。小売店鋪もちらほらある。コンビニなんかでも結構な棚を占めて売られている。気候的に、とにかく一年中売れるだろう。筆者も「クリスマススペシャル」なるものを頂いた。4種類アイスを入れられて、板チョコレート添えられて、サクサクコーンで、12S$とか。ハーゲンダッツはやっぱり旨い。

ハーゲンダッツ程のブランドを確立出来るかと言うと難しい面もあるが、31アイス(不二家の子会社)とか、参入すれば良いんじゃないかと。まだそんなにあちこちそこら中にハーゲンダッツの小売店舗がある訳じゃないので、取り敢えず売れると思う。

2010年12月10日金曜日

シンガポールメモ:シンガポールの、ちょっとどうなんすかと思う点。

今回は、シンガポールの良い面だけでなく、題名の件についても書いておきたい。


○サービス業のクオリティは、はっきり言って日本人の水準からすると相当酷い。

日常生活の上で一番感じるのはこれである。

まず不動産オーナーと不動産業者。日本人の常識だと、原状回復させてから新しいテナントに住まわせるのが普通だろうに、それが出来て居ない。

清掃業者。上記のような具合なので清掃業者を不動産オーナー側のエージェントに呼ばせる。まず清掃業者が来ない。遅刻するとかそう言う単位の話ではない。平気ですっぽかされる。
更には、床の塗料の粉の汚れを見て、「これは壁を塗った塗装業者の責任だから、自分は掃除する義務はない」等と平気で「素晴らしいご高説」を宣い(のたまい)始める。別の業者を呼んで貰った。

テレビ配送業者。契約によるとFully furnishedの物件であり、テレビも付いていると言う話だった。筆者は余りテレビを見ないので、気づくのに数日かかったのだが、何とテレビが最初から壊れている。これも「使えるのに交換してくれ」と言って、すっぽかされる事既に数度目。最初は先週の週末に来るはずだった。これが水曜日になり、木曜日になり、今日のはずだが未だ来ない。何度も留守電やメールにReminderを入れても来ない。仏の顔もおおよそ3度位までだ。仕方ないので、「何回、何時間あんたのせいで待たされて貴重な時間をつぶされてると思ってるんだこのヤロウ これ以上人をバカにするのはいい加減にせよ、Come ASAP, AAAAAAAAA SSSSSSSSS AAAAAAAAA PPPPPPP-------!!!!!!!!!」と電話で怒鳴り散らす事にした。ああロハス金融マン、遂にナニワ金融道になってしまったよ(爆)。いかんいかん、ここは南国ノリで、皆さんゆったりまったりやるお国柄で、それでも、良い風水、賢い政府の政策、良い時代の風周りでもって皆さん世界有数の金持ちで居られる国なのだ。5分10分遅れる際にも電話で一報入れる日本ではない。しかし幾ら筆者がのんびりロハスでも、相応の金額を家賃等住居周りでは使っている面もあり、それでこれでは、やっぱり頭に来るものは来る。

洗濯機。これも入居してみて何回か使った段階で壊れている事が発覚した。当初「150S$はtenantにもカネを払って欲しい」と言われたので思わずそれで引き受けそうになったが、契約書を見ると「Fully furnishedで、ちゃんと全部良い感じに利用出来るようにした上でtenantに引き渡し」とある。これは筆者には支払義務がない。最初は優しく穏やかに「あのー、契約書を拝見した所なんですが、これは大家様負担なのではなかろうかとー(mayとかcanとかpossiblyとか使って話す訳だ)」と言っても「いやいや、あんたも払うんだよ」と言って聞かない。これも仕方ないので、最後には「契約書のここを見よ、抜粋して朗読してやる、xxxだ。小生が住み始める前に貴方が現状回復ちゃんとやって、家具や家電を使えるかちゃんと確認して、故障したのは修理して提供するのが義務なのに、貴方の過失のケツ拭きをなぜ小生がやらされるのかetc。がおーーーーっ!」とぶっ放して漸く納得させた。

洗濯機の話は更に話の続きがある。今日に洗濯機を持って来たはいいがコンセントの形状が合わないので使えないと来た。大家やそのエージェントの不動産屋なら、その位チェックしとこうよ事前にと。でもってこの点電話して報告したら「コンセントの形状変えるプラグとかあんたが買って、適当に何とかしといて。俺は次の月曜まで忙しいんだ」と。何考えてんだ一体と言う事で、ここでも猛烈に畳み掛けて、明朝に担当者に来て貰う事にした。洗濯機が使えないと言うのはさすがに困る。

ちなみにこう言う時のコツとしては、相手がくだくだ言う発言を途中で遮って、短い命令形(Fix it, Come ASAP,等)をぶっ放して、有無を言わさず「tha----t's it」、で締める事である。以前働いて居た会社の社長がこう言う事を頻繁にやるような所があって、「傲慢で感じ悪いなー」「多分、この人の愛読書って、マキャベリとかなんだろうなー(勘弁してよ)」、等と思って居たのだが、この社長氏の感じ悪さもまんざら無駄ではなかった。こう言う事は筆者の場合相当の場合でないとやらない(やってはいけないとも思う)が、自分が不当な扱いを受けているなーと言う場合、本当に頭に来た際には、きちんとやらないといけない(音がのんびり朗らか小市民だと、これをやるのは結構体力使うものだが)。

その他、ランプが壊れてました、戸棚のドアが壊れてました、ネット接続が中々上手く行きません、携帯のSIMカードは今日のはずが来週半ばまで来ません、タクシーは距離が近いと乗車拒否する(これは景気過熱のサインの気もする)etc etc...万事がこれである(大体毎度毎度遅延する、ひどいと1−2回位、本当に酷いとこちらがプッツン行くまで何度でもすっぽかされる)。

そもそも過剰品質でモノが壊れると言う事を余り経験しない上、サービス対応が極めてしっかりしていて、すっぽかしなどまず有り得ない日本の「安い、早い、正確、真面目でユーザーフレンドリーで丁寧、の極上サービス業」に慣れきっていた筆者には、つかみとしてはかなり「衝撃的な異文化体験」であった。

つうか、なんで万事こんな調子で上手く経済回っててみんな裕福なんですかと(概ね人は良い感じの人が多いんだが、なんせ南国のり、もーまんたいもーまんたい、のカルチャー)。シンガポールって恵まれた場所なんだなぁ等と痛感した。

筆者もロハス金融道を謡っておきながら、シンガポーリアンからすると筆者もまだ、「キリキリガツガツビジネスマン」のカテゴリーなのかも知れない。あるいは今より輪をかけて更にロハスでも良いのかも知れない(ほんとか?汗)とふと反省(?)までさせられた。

あるいは日本のサービスクオリティの高さ、教育水準等に関わらずどんな業者でも全般に真面目に仕事をする人が過半である等の恩恵を受けられる点については、日本って恵まれた国なんだなあとも思ったし、この真面目さと誠実さ、仕事の正確さ、察しと思いやりに基づくサービス水準の高さは日本人として誇りに思って良いとも思った。

例えば、船便を頼んでいたヤマトロジスティクスのサービス等とシンガポールの上記サービス品質を比較すると本当に歴然とそう思う。何せ船便において、通関とか壊れ物の運送とか、トラブルが起きておかしくない所で何一つ何らのトラブルも無かった。そして担当者は笑顔で感じよく、しかも仕事は正確、訪問時間も正確、段ボールへの荷物の収納方法を工夫する事で元々の見積もりよりも所要の運搬面積を小さくして値段を下げる(船便は面積ベースで価格が決まるので、こう言う事が可能)と言った事までしてくれ、シンガポールへの荷物到着時には段ボールのガムテープ部分を言わなくても切って開け易くしておいてくれる等の「プラスアルファの痒い所に手の届く付加価値サービス」付き。

こう言うのは日本人からすると当たり前の事なのかも知れないが、これは全く当たり前なんかではなく、日本のサービス業のクオリティはもの凄くプロフェッショナルであり、もの凄く高品質なのだと言う事を今般痛感した。日本のサービス業が、海外、特に例えばハワイとか、シンガポールみたいな「人は良いんだけど、各種生活関連のサービス水準がちょっとアレな感じの、南国ノリの先進国」に参入したら、あっという間に席巻出来ると思う(筆者にしても、多少値段が高くても、価格差が”多少”程度であれば、日本のサービスがあればそちらを使うと思う)。筆者は中国には住んだ事は無いが、多分ノリ的に中国とかでも同様の可能性はあるようにも思う。頑張れ日本企業!


そんな訳で、シンガポールに来る際には、こう言う衝撃を受ける可能性がある、と言う覚悟はしておいた方が良いかも知れない。

新興国展開可能な内需企業とそうでない企業:「Japanブランド」を宿す事が出来るかどうかがポイント。

今日はお題の件について。

シンガポールに、家電量販店のベスト電器(8175)がある。
しかし、ベスト電器の開示を見る限り、シンガポールは儲かっていないようだ。

一方で、ユニチャームはアジア展開に成功している。また、最近こっちのスーパー見ていて目立つのは花王とライオン、マンダム辺りだ。ユニチャームの成功に刺激されて、頑張っているのだろう。

この差の理由はどこにあるのだろうかとふと考えて、答えが題名の通りである。


○「Japanブランド」を宿す事が出来るかどうか。

ベスト電器のような家電量販店の場合、ブランドは小売段階の量販店自体には宿らない。基本的には、「SamsungのLED TVが欲しい」「SharpだSonyだPanasonicだLGだが欲しい」と言った具合に、そこで売られている製品にブランドが帰属している。

言ってみれば、家電を買う場所については、安ければどこでも良いのである。今時情報はネットで沢山取れる。製品説明だって、別に日本の家電量販店でなくても、日本のアキバであるFutong Shopping Mallのその辺のお店に行けば丁寧にしてくれる。値段も安い。品揃えで差別化する事も難しい。こう言う業態だと、新興国展開と言うのは中々難しいと筆者は思う。


一方で、先日、シンガポールの大戸屋(2705)に取材した、失礼仕事じゃないので、晩ご飯を食べに行った。

メニューや味はまあ、日本のいわゆる大戸屋とおなじである。広島カキのカキフライ定食とか、チキンかあさん煮定食とか。普通に日常の定食として悪くないよね、外食にしては煮物とか野菜も摂れて栄養バランス取れるよねと言う、自炊代替のあの大戸屋の味である。このクオリティコントロールをシンガポールでキープ出来ているのは偉いと言えるが、日本人からすればまあ言ってみれば普通の味である。ビールがサッポロだかキリンだかで、日本酒なんかも置いてある。内装は普通のテーブル席に加えて、畳の半掘りごたつ的な感じになっている席がある。店員はシンガポーリアンだが、挨拶は日本語で「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」と言うように教育されている。料理が出て来るのはぶっちゃけそんなに早くない(これは日本の大戸屋でも混んでいる時間帯に散見される事態である)。メニューは日本語と英語だけで、シンガポールで過半の人々が使っている中国語の記載はない。つまり現地対応は最低限であり、どちらかと言うとちっとも現地対応などしていない。これでもかと言う位、「うちは日本の定食屋です、文句あっか」と言う路線である。

価格帯も高い。普通のカキフライ定食だのカツ丼だので15−20S$内外(1000円〜1500円位の感覚)、酢の物(普通の酢の物なんだが懐かしかった!&むちゃくちゃ旨く感じた。日本人&日本食万歳!)とかデザート等のサイドメニューや飲み物頼むと30S$以上(2000円位〜)の客単価である。恐らく日本の大戸屋より客単価が高い。これはシンガポールの外食は値段が極めて安く、ホーカーズ(屋台街)とかだと3S$(200円!)とかで一食食べられてしまう事を考えれば、更に「結構高い」プライシングである。価格については、定食屋と言うより、「レストラン」の価格帯である。

しかしである。現地のシンガポーリアンも含めてお客さんが大入り、満員だった。客層は、シンガポーリアンの比較的若めの社会人らしき数人グループ、カップル、たまに日本人(日本語喋ってる)もちらほら、と言った所。お蕎麦なんかを頼んでいるシンガポーリアンもいた。日本の大戸屋と違って、学生やサラリーマンの一人来店と言うのは余り見られなかった。カップルで大戸屋、と言うのは筆者からすると結構意外感があった。

どうやら、現地のシンガポーリアンからすると、「毎日食べるもんじゃないけど、仲間やカップルで、ちょっとお金払って、日本のビール飲んで、雰囲気と食事を楽しむ」みたいな、言ってみればアレだ、日本で言えばタイ料理とかみたいな位置づけを確立しているようである。大戸屋海外展開、結構行けるんじゃないんすか、と言う感じがした。なるほどなーと。筆者的にも、実は韓国人とかが経営している、べしゃーっとしたカツ丼とかちっとも旨くない「なんちゃって日本料理」を海外の人に日本料理と勘違いされるのはこれ大いに心外なのだが、大戸屋を「日本の大衆料理だ」と解釈されるのはそんなに悪い気はしない。

つまり、大戸屋の場合、ベスト電器と(外食と量販店と言う違いはあるが)同じ小売カテゴリーに居ながら、完全に「ジャパニーズブランドとして差別化」が出来ているのである。妙に価格帯やメニューで現地化しようと媚びていないのがむしろ奏功している事例とも言える。

そんな訳で、日本の従来内需と言われていた企業の海外展開の話はここ数年、大きなテーマになっているが、これの成否判断の基準の一つとして、「その会社の製品やサービスにブランドが宿り得るか」と言うのは挙げられるなと思った、週末の筆者であった。2705大戸屋に投資する際は、シンガポール店舗の善し悪しよりも国内既存店の善し悪しの方がずっと大事だと思う上、マイクロキャップの部類で流動性も無いので、投資意思決定はもちろん、自己責任にてお願いします。

では、良い週末を。

2010年12月2日木曜日

日経の記事より:年寄りの苦言みたいで嫌ではあるけど。


(上) すれ違う学生と企業
ネット公募に限界


今日の日経のこの記事を読んで思った。


1、デモなんかやるヒマあったら、エントリーシート書いて活動するべし。

「内定よこせ」「エントリーシート燃やせ」等と、「就活どうにかしろ」と言う横断幕掲げて行進してみた所で、何も物事良い方向には行かない。

ネガティブな怒りをぶつけて見た所で、返って来るのは不採用の通知だけである。筆者が採用者だったら、この手のデモに参加するような学生は100%間違いなく不採用である。なぜか。

まず内定が出ないのを社会だのマクロ経済の足踏みの景気だののせいにしている人間は、経営者でも学生でも「ショート銘柄の典型候補」である。プライムブローカーに借株あるか聞くべし聞くべし的な(^^;)。社会やマクロ経済はどのみちUnmanageableなのでそれはそれとして、今自身に何が出来るのかにフォーカスする事が重要である。相場でもそうだが、ここにフォーカスすると精神的、感情的にも落ち着ける。

また、労力は良い方向に動きうる事に使う方がいい。デモなんか参加するんなら、それこそ気晴らしにガールフレンドと遊んだり、家で紅茶でも入れて本でも読んだり、屋上でぼーっとしたり飛び去ってゆく蛍を眺めたり(ノルウェーの森でこう言うシーンがあった気が)してた方が、それによって気晴らしされて前向きな状態で面接が出来たり、リラックスして良い状態で落ち着けるし、煮詰まり状態から解放されるので、ずっと生産的だと思う。


2、20社応募して落ちた位でぐだぐだ言わない。

こう言うのは確率論だと考えるべきである。落ちて凹むのは、他人の評価に依存しないしっかりした人格の幹が無く、落ちたら人格を否定されたような気分になるからである。実際には、単にその会社や人とはご縁がなかっただけだ。どちらがより正当と言う事はない。

Twitterでも書いたが、気になる記事が”たいやき世界旅行”であろうが何だろうが、自分らしくある事に誇りを持てばいい。

面接官の顔色伺いながらどうやったら評価して貰えるのか、どうやったら優秀そうに見えるのかとか考ええ右往左往するから疲れるし、逆に「自分らしさが十全に活かせる職場」から遠ざかってしまう事になる。

主体は自分なので、きちっと「自分」と言う人物を、自分らしく伝達する事を重視して、100社回って1社が気に入ってくれてDoneすればよし、と言う感覚で割り切る。エントリーシートをばらまく段階ならコピーペースト使い回しで細かい所だけ変えてWebから提出するだけなのであるから、100社よりも多くても良く、書けば書くだけコールオプション(損失なし、当たればしめたもの)なんだから200社でも300社でもエントリーすれば良いだろう。100社エントリーしたけど採用されなかったとか落ち込む類いの事ではない。別に全員に好かれる必要はない。あまたある企業のうち1社でいい。前向きで誠意があって周囲に貢献する気がちゃんとあれば、働く場所はある。


○若い人に贈る言葉。

と言う訳で、締めとしては、こんな感じである。

「どうやったら”ご優秀な人”と思って貰えるんだろうか等と大人の顔色伺って、周囲の学生とは一流企業内定競争みたいな(あいつは一流企業に受かったのに、自分は内定がない!とかね)お受験の延長みたいな”貧しい思考”で焦って右往左往した挙げ句、社会が悪いとか不景気が悪いとか言ってキレるな。」

「深呼吸して、栄養のある旨いもん食って、海とか山とか自然のある所でも行って、無心に運動するとか週末の午後のカフェで読書でも何でも良いのでまず自分が一番リラックス出来る事をして、夜はゆっくり充分に睡眠を取る(相場で上手く行ってない時、人生上手く行ってない時等、スランプの時はこう言う基本が本当に大切なのだ)。」

「人間完璧な人は居ないんだから、辛いときは愚痴になっても仕方ない。友達に話を聞いて貰っておおよしよしと慰めて貰えばいい。だいぶ気分が楽になるだろう。ただしそう言う友達が居ると言うのは本当に財産だから感謝の気持ちを忘れない事。例えば同じシュウカツ仲間なら、多少自分の志望先とバッティングしようが採用情報の一つや二つ躊躇無くそう言う懐の深い友人には投げる事。」

「そしてあとは”自分らしくある”事を恐れずに、自然体で前に進もう。ひとつひとつ、例えば1社落ちたら1社エントリーシートを書いて提出するとか、小さい一歩からで良いから、今自分自身で、事態を少しでもいいから前向きな運気改善に繋げられそうな事を、淡々と実行しよう。」

若い人にはそう伝えたい。

筆者もぷー生活をしていた時中々ぴったり来る仕事が見つからず、焦りがなかったかと言えばウソになるし、腹が立たない事がなかったかと言うとウソになる。気持ちは良く分かる。しかしだからこそ、年寄りの苦言みたいで恐縮ではあるが、少し書かせて頂いた。