2011年6月25日土曜日

シンガポール体験メモ:昭南神社の70年前と今。

(1942年の昭南神社の鳥居。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)
(1943年の昭南神社の建物。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)

さて、今日は上記の昭南神社に探検して、お祈りをする事にしていた日であった。

(注:筆者は無宗教であり、かつ思想的に左右どちらでも無く、この辺りの点については完全に中立である事は付記しておく。過去の歴史と言うものがあり、70年前にシンガポールで戦争捕虜等を動員して神社を作ったと言う事実があり、そう言った時代の大きな渦の中で日本人もマレー人やシンガポール人もこの地で多数命を落としたと言う事実がある。そう言った事に対して只安らかに、と祈るのである。この点確認しておきたい。)

昭南神社とは、1942年、太平洋戦争において日本軍がシンガポールを陥落させた後に建設された、天照大神を祭神とされていた神社である。場所は、マクリッチ貯水池の西端の北側の小高い所に建設された。伊勢神宮の内宮を流れる五十鈴川を想起させる景観であった事からこの地が選ばれた、と参考書籍にはある(注1)。筆者の推理では、この場所の北に小高い山のような場所(現在はHSBCのスポンサーで景観の良い橋がかかっている)があり、南側に水場があり、池の水に抱かれるような地形で北山南水の風水的にも良い場所と判断された面もあるのではなかろうかと思う。

さて、先ずはMacRitchie Reservoirの普通の散歩コースをゆく。雨上がりで多少ぬかるんだが、気持ちよかった。


さて、これが昭南神社に向かう道の入口の目印となる、「二つの大きな置き石」である。場所の詳細を書こうと思ったのだが、止めておこうと思う。「MacRitchie Reservoirの散歩道のどこか」とだけ書いておこうと思う。

伏せておく理由は、一つには思ったよりも道がちゃんと無く、ヘタをしたら本当に迷って出られなくなったり変な植物や生物でケガしたりしてもおかしくない感じがしたので一般には薦められないからと言う点。もう一点は、やはり経緯が経緯と言うか、余り観光客が大挙して気軽に来るような場所ではないと感じたからである。

最初のうちは、他のウェブサイトにあるように、「道無き道」を進む事になる。比較的容易に進める。
段々こんな感じで倒木等増えて来て、行きづらくなる。
最初のうちは、こう言った目印があるのでこれに沿って進めば良い。
しかし、他のWebサイトに書いてあったよりずっと進みづらかった。
倒木等で完全に道が遮断されてしまっている場所があり、迂回して遠回りしているうちにどこが道なのか分からなくなってしまい、「道なき道」どころか、「本当にただのジャングル」の中を、iPhoneの地図を頼りに、推定される神社があった場所をチェックしながら進む事になる。30−40分位歩いていて、完全に迷ってしまい、道なぞ何もない中を分け入って進む感じになってしまった。ジーンズに長袖、動き易い靴で水位は持って来ていたが、万能ナイフ等サバイバルグッズは何も持って来ていなかった。うわー困った。なんてこった。

しかし幸運が。遠くから声が聞こえる。うおーついに筆者も日本軍兵士の亡霊の方々の声とか聞こえるようになったか(冷汗)等と思ったら、数人で探検に来て居たシンガポール人であった。

彼らはジャックナイフ等持って来ていたが、昭南神社の詳細の場所を知らなかったようである。なので昭南神社がマクリッチ貯水池の西端の北側の小高い丘にあると言う事を知らなかったのでその旨彼らに教えて、iPhoneで地図を見せてこちらに向かえば良いと思う、と伝えたら、彼らにも喜んで貰えた。場所は知っていたが装備が無かった筆者と、装備があったが場所を知らないシンガポール人が出会うとは何と言う幸運。神聖な場所ではこう言う幸運がふわっと起きたりするのが不思議である。宇宙と、もしかしたら居たかも知れない日本人の霊魂にも感謝である。

マジこう言う場所を進んで行く事になってしまった。他のWebサイトだと、「何か道がないなりに踏み固められた道みたいなのがあって、時折見える目印に沿って40−50分歩けばサクッと到着する」みたいなニュアンスで書いてあったような氣もするのだが、実際にはそうは行かなかった。恐らくこの何年かの間で更に倒木等の増加で道が塞がれてしまったのだろうと思う。
そして最初の写真で紹介した、神社の鳥居があったと思われる近所の湖のほとりに到着。今やうっそうとした密林である。これが70年の年月の経過と言うものなのだろう。当時の影も形もない。
遂に最初の石段を発見。感慨深い。
これが70年後の昭南神社跡である。何と言うか、ラピュタの遺跡でも訪問しているような不思議な氣分になった。祇園精舎の鐘の声が聞こえて来る感じだ。諸行無常である。そう言えば、位置関係の確認も出来た。以前に「これは橋の跡か?」とTwitterで紹介した、湖の上のコンクリートの基礎のようなものは、やはり入口階段との位置関係等からして違うのではないかと思う。

これが手水舎の傍にあった、柱の基礎?か何かの跡。
これが手水舎の跡。70年前、ここで手を清めて参拝する日本人が居たのである。何と言うか、本当に不思議な氣持ちになった。
石垣である。正に諸行無常である。
石段は続く。
70年後の昭南神社跡は、蔦の生い茂る密林である。

この辺が、位置関係的に本殿等があったと思われる場所。建物は戦争終結時に日本軍の手により爆破され、現在残っているのは石段や手水舎の跡等だけである。時代の大きな渦の中で命を落とした多くの人々の事等想いながら、小さく手を合わせて祈りを捧げた。只安らかに。

帰り道は行きよりは楽であったが、ぬかるみで靴が泥だらけになるわで、中々大変であった。元の二つ置き石があるポイントまで戻れた際に、出会ったシンガポール人達と握手をして帰宅の途についた。歴史を実地体験したひと時であった。

最後に、今日のマイベストフォト。この光の具合など、勿論一切照明など使っていない。光に照らされる四葉のクローバーのような形の葉が、一隅を照らすように、ささやかな幸運を祝福するようにそこにあったのが美しかった。何度来てもこう言った違う表情を見せるのが、自然の素晴らしい所である。

今はシンガポール人と日本人が昭南神社跡を一緒に探検して握手出来る時代になった。この平和を大切にしたいものである。多民族が平和に住める環境があってこそ、筆者のようなガイジンが、シンガポールで相場の仕事が出来るのである。色々な人や事のお陰様でもって、相場の仕事をしているのだと言う事を再確認したい。


(注1)出所は以下。シンガポールに住んでいる等でないと中々興味を持って読めないかも知れないが、歴史、経済、教育制度など色々なトピックから学者の趣味的な分析や解説が為されており、シンガポールに興味があるかたにとっては中々楽しめるので紹介しておく。

3 件のコメント:

  1. 付記です。

    この風景を見ていた時にずっと浮かんでいたのが、浜渦正志氏の以下の曲。

    FF13のゲームの中で、故郷に戻ってみるけどうらぶれた廃墟しか残って居ない中で流れる曲であります。Twitterでは「佳作は多いが技術的に過ぎる」的な事も書きましたが、氏の曲の中でこの位べたな感じの曲は結構良いです。70年前の面影が全くない樹林の中を歩きながら、ちょっと似たような気分がしました。

    色のない世界
    http://www.youtube.com/watch?v=JDLPy7yR7jY

    あとはこれでしょうか。
    音楽は、音楽だけは、いいんですけどね〜FF13(^^;)。

    Final Fantasy XIII Music - The Promise/~誓い~
    http://www.youtube.com/watch?v=H7pxSGZ7YNM&feature=related

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  2. 匿名5/29/2013

    ありがとうございます。

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  3. 匿名1/05/2016

    はじめまして。
    個人的なライフワークで昭南神社について調べている者です(仔細はここでは割愛させていただきます、すみません)。
    行程が写真付きでわかりやすく、とても興味深く読ませていただきました、有難う御座いました。

    私も現地へ行くことを検討しているのですが、もし宜しければ、以下について教えていただけると幸いです。
    ・昭南神社の詳細な場所(記載を控えられている背景は理解しておりますが、その点も踏まえた上で現地へ赴きたいと考えております)
    ・出所の書籍以外に参考にされた書籍やwebサイト(あれば)
    ・森林地帯に入ってから出るまでの所要時間
    ・森林地帯に入るにあたって許可が必要かどうか

    お手数をおかけしますが、ご協力いただけると幸いです。
    宜しくお願い致します。


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