2011年7月26日火曜日

○2ch世代の葛藤と、Twitter・FB世代における所得格差ならぬ『思考・想念格差』について


本日は、普段の無名アナリストの中年の新橋ガード下語りからは離れて、題名のお話について。(でも基本的に新橋ガード下うだうだ飲みレベルの雑談である事は添えておく。)

筆者も、ブログを使い始めて1年以上が経ち、TwitterやFBも活用して試行錯誤して何ヶ月かが経過した。今日はその中で氣付いた事について書こうと思う。断っておくと筆者はWebやITの専門家でも何でもない。そのため、素人1ユーザとしての雑感・ヨタ話程度のものである面は最初に添えておきたいし、この点ご容赦頂けると幸いである。


○2ch世代の葛藤。

題名の意図するところは、ブログ・Twitter、FB等を中心に現在ネットの起きている事は、以下に述べるような感じなのではなかろうか、と言うことである。

数年前の2ch世代に代表される雰囲気は、”匿名で言いたい放題だぜヒャッハー!”、”ネットじゃやりたい放題だぜヒャッハー!”(北斗の拳の悪役を想起してヒャッハーの辺りをイメージ頂きたい)と言ったものであったように思う。

つまり2ch等流行って居た頃は、削除されない限り匿名で言いたい放題であったし、有無を言わさず会話・スレッドに介入して、ゲリラ的に匿名で自説を述べたり、極論で煽ったりも出来、鬱憤晴らしの罵倒の類も含めて匿名でやりたい放題出来て居たのである。そして攻撃されたら、『言論の自由』辺りが防衛手段である。言論の自由があるんだから、何を発言しようが自由なんだよ、お前ら俺の話聞けよ、と言う理屈であろうか。ちなみに蛇足になるが、資本市場においては、フジテレビ・ニッポン放送案件周辺の村上ファンドやライブドアの手法等も匿名ではないが手法が2chの煽り的な感じだったように個人的には思う(「株主様の権利なんだよ、お前ら俺の話聞けよ」)。

ところが、TwitterやFBではそれが通用しなくなっている(資本市場においてもこの手の敵対的アクティビズムが通じなかった旨は前のエントリで多少触れたし、今後のエントリでも多少触れるかもしれないがそれはまたの機会に)。

Twitterは匿名でも発信可能ではあるものの、筆者の尊敬している春山昇華氏による所の”Personal Identity”が発生してきている。ブロック機能の存在により、品がない、不愉快だと判断した人間を排除する事が出来るようにもなっているし、ブロックまではしなくても、「余り失礼だと最終的にはブロックするから、紳士淑女に振舞いましょう、ほらRTで皆さんも見てますよ」と言った文脈に持って行くとこれに抗う事は中々難しいようになっているように思う。金融クラスタのTLなど眺めていても、下世話な話やシモネタで一杯ではありこれで無邪気にきゃっきゃやるのが楽しい面がある一方で、過半の人達が、匿名であっても「一線を弁えたTweet」「悪意のない冗談・娯楽の類で済む類のTweet」を自然と心がけているようにも見える。まあこれが一般的なネット上におけるマナーだろう。

FBにおいては、先ず本名が前提であり、友人にする際にフィルターがかかる。更には、友人に加えた後でやっぱりモラルがない、品がない、微妙な筋のお方だった、コミュニティの平和が乱れる等と判明した場合、先方に了解なく一方的に友人から外す事が出来るようになっている。

尚、旧来からのブログにおいても、書き込みが自由になっておらず許可制の所も増えて来ている(筆者もそうしている)。

つまり、『言論の自由』と「匿名性」を盾に言いたい放題Webで鬱憤解消をしていた層は、2chの時代からTwitterやFBの時代に移行するにつれ、当たり前の現実に直面する事になっているのではなかろうかと思われる。

つまり、言論の自由は勿論あるんだが、一方で皆に「情報の取捨選択の自由」「どんな情報や思想、価値観を持っている人と接するか接さないかを選択する自由」もあると言う事である。

また、発信する側には、「自分の思考やその結果としての発言や立ち居振る舞いによって、他人から自由意志でそういった選択をされてしまうと言う責任」があり、「自分と分相応の人しか相手をしてくれないと言う現実」があるという事でもある。

言ってみれば、TwitterやFBは、「似たもの同志」が集まる世界なのであり、TwitterやFBの普及により、言ってみればリアルの世界では当たり前のこう言った事柄に、Webにおいても我々はより明瞭に直面することになっているのではなかろうかと思う。

結果、ネットで匿名で鬱憤を晴らしていた層は、俺の話を聞いてくれなくなった、2ch等の溜まり場・吹き溜まりで通用していた煽り等も通用しなくなりつつある、と言った具合に葛藤を感じているのではなかろうかと、Twitterなど利用していて時折見られる反応など見るに付け、最近ふと思うようになった。

一方で、恐らく日常においては目立たないのかも知れないにせよ、Twitter等でじわじわと人柄等が垣間見えるにつれ「キラリと光る人」と言うのが見出される事も起きているように思う。Twitterの会計・金融クラスタ等眺めている限り、結構こういういぶし銀な良い味を出している層もまた多くみられる。

これが幾らかブログ、FB、Twitterを運営してみて筆者が感じた事である。


○所得格差よりもある意味シビアな「思想・品性・想念の格差」の進行。

こう言った事を思うにつれ、現在進行している事態は、所得格差よりもある意味シビアな「思想・品性・想念の格差」の進行なのではないかと筆者は最近思うようになった。まあ筆者の定性的な主観であるし、証明・論証出来る類の事ではない与太話ではあるけれども。

ネットで呟く言葉には、思っている事をアウトプットするのに障壁が少ない事もあるし、上述の通り人柄がにじみ出るようにも思う。特に長期間呟いているとこの事は言えるように思う。

結果として起きている事は、所得格差ならぬ”思想格差”、”品性格差”、”想念格差”と言ったもので、思想、想念、人柄の成熟度等の面で”似たもの同志”が集う場にネットがなって来ているのではないかと言う事である。

こういった状況がなぜ所得格差よりもシビアなのかと言うと、言い逃れのしようが無いからである。

所得格差であれば、「カネ持ちブルジョワジーだけで固まって、なんかずるいよな」「こんな格差社会を作った政治が経済が企業が上司が・・・」と言った具合に、カネ持ちなり世の中なり他人なりを悪役にすれば、憂さも幾分晴れる面はあろうかとも思う。

しかし、思想格差、品性格差、想念格差となるとそうはいかない。「あなたの思考や品性相応の人と接する事になっているんですよ。思考や品性はカネの有無の問題ではなく、あなたの心がけ次第ですよ。今時志さえあれば簡単に孫正義氏のような大富豪にもメッセージが送れる状況だし、愚痴や不満ばかり言って同類を引き寄せる事も出来るし、それもあなた次第なのですよ。」となってしまうと、逃げ場も言い訳のしようもないのである。

元来、TwitterやFBが普及する前から、人生あるいは世の中には「思考・品性・想念による格差」「思考・品性・想念が人生をつくる」と言う面は存在する。それは、例えばマザーテレサが以下のように見事に要約している。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

マザーテレサ
しかしこう言った事実が、TwitterやFBによって加速している、あるいはより明瞭な形で筆者を含めた皆の目の前で進行している、と言った事のようにふと筆者の氣分的に思ったのである。まあヨタ話の類と言えばそんな感じだけれども。


○ここから先はまあ、更にヨタ話ではあるけれども・・・

ここから先は更にヨタ話の感が深まって来るので、参考にするしないは更に各人の自由と言う話になるが更に徒然に「バシャール」を紹介してみる。「バシャール」と言う未来人だか宇宙人だかと、須藤元気氏や本田健氏が対談をした本が出ているので、その中のエピソードを紹介しておく。

(注:「ロハス金融道」的には金融マンにも関わらずこういう所からも引用を引いてくる辺りが、筆者のアナリスト芸人なり運用者芸人なりとしてのキャラ的な特色・位置づけではある。真偽の程等は全く保証しないし、興味の無いかたは読み飛ばして欲しい。)

これらの対談によると、どうやら2012年と言うのは色々な意味で節目らしい。ちなみに2012年と言うのは、映画2012等でご存知のかたも居るかも知れないが、ホピ族の予言であるとか、その手の界隈の話で重要な年である。

で、何が節目かと言うと、各自が体験する世界・地球が、パラレル的に枝分かれし始める節目と言う事らしい。

つまり電車の例えで行くと、いままでは色々な目的地に行く列車も並走していたし、駅では相互の路線への乗り換えも可能であった。まあアレだ、いままでの時代は、東京から品川まで行っていたようなものだと。これが、2012年からは、ある者は新幹線で関西なり九州なりに行き、ある者は東海道線で伊豆に行き、ある者は横須賀線で逗子に行き、ある者は山手線で、ある者は空港行って海外へ、と言った具合に分化し始め、次第に相互の乗り換え・乗り入れもなされなくなる、と言った事らしい。

つまり経済的な面での格差の拡大なのか、思想面等でのコミュニティの分化固定の話なのかはよく分からないにせよ、格差や分化が2012年辺りから急速に進むよ、と言った事をバシャール君は言っている訳である(で、「ワクワクお金持ち」が商売道具でありトレードマークでもある本田氏は「わくわくする人生、自身も周囲もわくわくしている、わくわく列車に乗りましょう」と言った定番のまとめかたをしている)。

こういう話を信じる・信じないは各自の自由であるし、筆者も話の内容自体は自己啓発として適度にまっとうだとは思うもののバシャールと言う存在自体はうーんどうなんでしょうねと言う面もある。

しかし筆者がこの話を聞いた時に興味を持ったのは、「仮にこういう流れが起きる・起きているとしたら、いったいどう言った経路、状況でもって起きる・起きているのだろうか?」と言う事であった。この手の話は一歩間違うとオカルト商法の類になり得るので、安易に鵜呑みをするのもどうかとは思うが、書籍代1000円そこらで、本田健氏や須藤元気氏のようなガイドの下でこういう思考遊びが出来る事には価値がある(と筆者的には思っている)。

そしてふと、TwitterやFBの普及、と言うのが、思考・想念の面での格差、電車の目的地が分化して交差する事がなくなり始めるきっかけになり得るのかな、と言った事を感じた訳である。

この話を信じる・信じないも、参考にする・しないも自由であるが、筆者としてはこういう事が起きているのかも知れないな、どの列車(思想・コミュニティ)に乗るのかはきちっと選んでおきたいな、そういった文脈の中でTwitterやFBも活用したいものだな、等と感じている昨今であった。

と言う訳で、今日もオチもなく終了・・・。

(書籍紹介)
バシャール本は下記。未来予想が当たるかどうかと言う意味では、Amazonのレビュー等見ると過去外して来た所も結構あるようなので(まあ元々がアナリスト稼業の同業者的には同情する・爆)、娯楽程度の気持ちで読むと中々面白い。本田健氏のほうは、比較的無難にまとめた感じであり、須藤元気氏の方は氏の独特の個性やツイストが入っており、氏の笑いのツボにはまれる向きは面白いと思う。


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