2011年8月26日金曜日

○ヱヴァンゲリヲン新劇場版が、なぜリメイク作品であるにも関わらず非常に人気があるのかについての簡単な考察と、それの金融プロフェッショナルへの含意について。

(出所:スタジオカラー)

さて、今回は雑談で、題名の内容。
日本では金曜ロードショーでヱヴァンゲリヲン「破」も放映され、高い人気を保っているようである。
Twitterで呟いた内容を多少編集してブログに掲載した次第である。


○ヱヴァンゲリヲン新劇場版が、なぜリメイク作品であるにも関わらず非常に人気があるのかについての簡単な考察。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版が人気である。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」は興行収入20億円を記録し、金曜ロードショーでは12.7%の視聴率を記録。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は興行収入40億円を記録し、金曜ロードショーの視聴率は現状不明だがTwitterのTL上でも大量に投稿された。

元々エヴァンゲリオンは、90年代にTV放映と映画公開が為された作品であり、2000年代の上記映画と今後公開される「Q」については、(ストーリーや画像は新たに作られ変化が為されているものの)リメイク作品である。

過去のリメイク作品が、なぜこれだけの人気を誇っているのか。今回はその理由を、駄文社会学者の風呂敷文章ちっくに筆者なりにまとめてみた。

思うに、エヴァと言う「過去作品のリメイク」に対して、なぜ現在も(拝金主義等細かい批判は勿論あるものの)かなりのファンや支持があるのかと言うと、ファンは庵野秀明氏と言う「とあるヲタク」の成長を、エヴァ(とその登場人物)の描かれ方の変化を通じて見る事が出来るからと言う面があるのではないかと思う。

90sの初代エヴァの時は、自己無価値感、低い自己評価を、膨大なアニメに対する知識、精神分析や聖書等からも引用しているとみられる込み入った世界設定・伏線・謎かけ等で自尊心を補完する、ある種の脆さのようなものが作品にも出ていたように思う。言ってみれば、人類補完計画は、虚無感・無価値感補完計画、自尊心補完計画だったのではなかろうかと言う事である。

登場人物が明らかに皆アダルトチルドレンである。時間のあるかたはTsutayaでTVアニメ版のエヴァンゲリオンを1〜26話までみてみると良いかも知れない。シンジ、レイ、アスカ、ミサト、リツコと言った主要キャラクターは、ことごとく「自己無価値感」に苛まれている。その表出の仕方が各々違うだけである。例えばシンジのようにふさぎ込みがちになりつつもエヴァンゲリオンに乗っている自分は価値があると言う所に依存するようになる者もあるし、レイのように過剰な自己犠牲に繋がる者もあるし、アスカやミサトのように仕事での評価に依存・のめり込むが幾ら仕事で達成しても虚しさがなくならず壊れて行く者も居るし、リツコのように恋愛が不幸系になる者も居る、と言った具合である。これらの登場人物は、結局TV版〜90s劇場版の「初代エヴァ」では、全く救われる事のないまま、話の進展と共に、皆心身共に壊れて行くと言う流れを辿る事になった。

また、TV放送〜90sの映画の「初代エヴァ」の段階では、原作・監督の庵野氏の病み具合も進んでしまったのか、登場キャラクターだけでなく、ストーリーライン全体、作品全体としても、全くいただけない形で空中分解してしまった。せっかく途中までは緻密な伏線や設定、人物造形の描き込み等で世界を作ったのに、最後の方は完全に壊れてしまっているというか、風呂敷をたたみ切れずに煙にまいて終えてしまっている。

つまり登場人物がことごとく精神的に(あるいは物理的にも)崩壊して行き、最後には何か非常に憔悴し切ったパラレルワールドを見せられる事になった。例えばTV版の終盤における学芸祭の演劇みたいのとか、何の救いも無い上に風呂敷たたみ切れないまま巨大綾波レイなど登場した末、最後のアスカの「気持ち悪ぅ」のセリフによる90s映画版の終わりであるとか。

結局、大風呂敷を広げたは良いがたたみ切れず、何とか煙に巻いたのかなと言う、そう言う感じである。肚に落ちない、腰の据わらない終わり方だった。


それが、年月を経て、庵野秀明氏も結婚する等の変化があり、「自己無価値感やコンプレックスの埋め合わせとしての仕事」から、「適切なSelf Esteemを基礎にした肚の据わったクリエーター」への変化が見られる事がリメイク版で感じられるに至りつつあるように思われるのである。

弱々しかったシンジ君は今回のリメイク版では明らかに成長していて、物語が「シンジ君の成長物語」として肚の据わった軸のあるものになりつつある(少なくとも「破」の所までは)。ユイの幻影をみながら職場内研究者親子を食い散らかす等不健康極まりない憂さ晴らしをするゲンドウも微妙に変化ししていて、所々に不器用ながらも父親らしさを伺わせるような表現に変化している(これも「破」現在)。

こう言った作風の微妙な、しかし明らかな変化を通じて、エヴァの受け手は、庵野秀明氏の成長を感じる事が出来る面があるだろう。

つまり「リメイク前」と「リメイク後」の作者の葛藤、挫折、内観を経た成長自体、「自己無価値感とコンプレックスに悩む自我の脆弱なヲタク」が「適切なSelf esteemを持ったクリエーター」に成長していく過程自体を、「物語」として、受け手側が感じる事が出来るのである。

「リメイクの今回もまたヲタクの空中分解で終わっちゃうんじゃないか」と言う微妙な危なっかしさも孕みつつも、いやしかし作者の成長が作品に出ていて、より「骨太の軸を持った物語」と言う、「90sエヴァとは別の”パラレルワールド"」を見せてくれるのではないかと言う期待感があるのではないか。

こういった要素が重なって、リメイクにも関わらず、エヴァの人気が高いのではなかろうか、等とどこぞの駄文社会学者の風呂敷文章のような事を思い浮かんだので、雑記までに呟きであった。例によりオチも特段無いが、お付き合い頂いたかたは、ありがとうございます。


○ちなみに...ヱヴァンゲリヲンの金融プロフェッショナルへの含意。

ちなみに、「初代90sエヴァ」のような「自己無価値感、コンプレックスの埋め合わせ」で仕事してしまうパターンは、金融マンでも良く居るパターンである。

脆い自我、自己無価値感や低い自己評価を、膨大な金融知識(あるいはアナリストの場合は膨大な業界や企業に対する知識)、高いボーナス、美麗なキャリア、周囲の評価、寄って来る拝金美女蝶々と言うか蛾等で埋めようとするパターンである(これでギクッと来た同業者も幾らかあられるかも知れないが、御愁傷様である)。

あるいは運用屋だとトラックレコードの維持等で脆い自尊心を何とか保っている人も居るように思う。傍から見ていてつらそうと言うか、とげのある雰囲気と言うか、お疲れ様ですなと言う雰囲気が感じられるのでこういうのは体感的に分かる。

いずれにせよ、上記のエヴァンゲリオンで言えば、「90sのTV版〜映画版」までの時の、脆弱なヲタクの心理と似ている。「自己無価値感、低い自己評価、コンプレックス」を、カネで埋めると言うのは起業家や金融プロフェッショナルで比較的良くみられるパターンなのである。

大体、普通に特段悩みも無く満ち足りた生活をしていたら、常識的に考えて、解雇率も極めて高く、深夜まで労働は及び、人格の壊れ気味の意味不明の上司の奴隷になってまで、年収ん千万円等の収入を得る、と言った進路など普通の人間であれば選ばないであろう。何か満たされないものがあるから、こう言う生活を選ぶと言う面は(必ずと言う訳ではないが、得てして)あるように思う。マネーはこう言う心の隙間に見事に入り込み、人の精神を浸食して行くのである。

そんな訳で強引に最後を締めると、昨今の金融プロフェッショナルにおいても求められるのは、ヱヴァンゲリヲンや庵野秀明監督と同様の、「リビルド」ではなかろうかと思う。

つまり、自我の脆弱なヲタクから、適切なSelf Esteemのあるクリエーターへ。金融は虚業だと自らを嘲りながら自己無価値感や虚無感をカネや知識や経歴で埋めようとする段階から、適切なSelf Esteemを伴った金融ならではのクリエイティビティを伴ったマネーの探究と活用への昇華へ、と言う事である。

ヱヴァンゲリヲンの上記一連のありようは、我々金融プロフェッショナルに対しても重要な示唆を投げかけているのではなかろうかと思う(...って本当?)。おっしゃー電波社会学者的強引な締めくくりが出来たぞ!と自己満に浸った所で、今日はこの辺りで失礼致します。

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