2011年6月25日土曜日

シンガポール体験メモ:昭南神社の70年前と今。

(1942年の昭南神社の鳥居。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)
(1943年の昭南神社の建物。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)

さて、今日は上記の昭南神社に探検して、お祈りをする事にしていた日であった。

(注:筆者は無宗教であり、かつ思想的に左右どちらでも無く、この辺りの点については完全に中立である事は付記しておく。過去の歴史と言うものがあり、70年前にシンガポールで戦争捕虜等を動員して神社を作ったと言う事実があり、そう言った時代の大きな渦の中で日本人もマレー人やシンガポール人もこの地で多数命を落としたと言う事実がある。そう言った事に対して只安らかに、と祈るのである。この点確認しておきたい。)

昭南神社とは、1942年、太平洋戦争において日本軍がシンガポールを陥落させた後に建設された、天照大神を祭神とされていた神社である。場所は、マクリッチ貯水池の西端の北側の小高い所に建設された。伊勢神宮の内宮を流れる五十鈴川を想起させる景観であった事からこの地が選ばれた、と参考書籍にはある(注1)。筆者の推理では、この場所の北に小高い山のような場所(現在はHSBCのスポンサーで景観の良い橋がかかっている)があり、南側に水場があり、池の水に抱かれるような地形で北山南水の風水的にも良い場所と判断された面もあるのではなかろうかと思う。

さて、先ずはMacRitchie Reservoirの普通の散歩コースをゆく。雨上がりで多少ぬかるんだが、気持ちよかった。


さて、これが昭南神社に向かう道の入口の目印となる、「二つの大きな置き石」である。場所の詳細を書こうと思ったのだが、止めておこうと思う。「MacRitchie Reservoirの散歩道のどこか」とだけ書いておこうと思う。

伏せておく理由は、一つには思ったよりも道がちゃんと無く、ヘタをしたら本当に迷って出られなくなったり変な植物や生物でケガしたりしてもおかしくない感じがしたので一般には薦められないからと言う点。もう一点は、やはり経緯が経緯と言うか、余り観光客が大挙して気軽に来るような場所ではないと感じたからである。

最初のうちは、他のウェブサイトにあるように、「道無き道」を進む事になる。比較的容易に進める。
段々こんな感じで倒木等増えて来て、行きづらくなる。
最初のうちは、こう言った目印があるのでこれに沿って進めば良い。
しかし、他のWebサイトに書いてあったよりずっと進みづらかった。
倒木等で完全に道が遮断されてしまっている場所があり、迂回して遠回りしているうちにどこが道なのか分からなくなってしまい、「道なき道」どころか、「本当にただのジャングル」の中を、iPhoneの地図を頼りに、推定される神社があった場所をチェックしながら進む事になる。30−40分位歩いていて、完全に迷ってしまい、道なぞ何もない中を分け入って進む感じになってしまった。ジーンズに長袖、動き易い靴で水位は持って来ていたが、万能ナイフ等サバイバルグッズは何も持って来ていなかった。うわー困った。なんてこった。

しかし幸運が。遠くから声が聞こえる。うおーついに筆者も日本軍兵士の亡霊の方々の声とか聞こえるようになったか(冷汗)等と思ったら、数人で探検に来て居たシンガポール人であった。

彼らはジャックナイフ等持って来ていたが、昭南神社の詳細の場所を知らなかったようである。なので昭南神社がマクリッチ貯水池の西端の北側の小高い丘にあると言う事を知らなかったのでその旨彼らに教えて、iPhoneで地図を見せてこちらに向かえば良いと思う、と伝えたら、彼らにも喜んで貰えた。場所は知っていたが装備が無かった筆者と、装備があったが場所を知らないシンガポール人が出会うとは何と言う幸運。神聖な場所ではこう言う幸運がふわっと起きたりするのが不思議である。宇宙と、もしかしたら居たかも知れない日本人の霊魂にも感謝である。

マジこう言う場所を進んで行く事になってしまった。他のWebサイトだと、「何か道がないなりに踏み固められた道みたいなのがあって、時折見える目印に沿って40−50分歩けばサクッと到着する」みたいなニュアンスで書いてあったような氣もするのだが、実際にはそうは行かなかった。恐らくこの何年かの間で更に倒木等の増加で道が塞がれてしまったのだろうと思う。
そして最初の写真で紹介した、神社の鳥居があったと思われる近所の湖のほとりに到着。今やうっそうとした密林である。これが70年の年月の経過と言うものなのだろう。当時の影も形もない。
遂に最初の石段を発見。感慨深い。
これが70年後の昭南神社跡である。何と言うか、ラピュタの遺跡でも訪問しているような不思議な氣分になった。祇園精舎の鐘の声が聞こえて来る感じだ。諸行無常である。そう言えば、位置関係の確認も出来た。以前に「これは橋の跡か?」とTwitterで紹介した、湖の上のコンクリートの基礎のようなものは、やはり入口階段との位置関係等からして違うのではないかと思う。

これが手水舎の傍にあった、柱の基礎?か何かの跡。
これが手水舎の跡。70年前、ここで手を清めて参拝する日本人が居たのである。何と言うか、本当に不思議な氣持ちになった。
石垣である。正に諸行無常である。
石段は続く。
70年後の昭南神社跡は、蔦の生い茂る密林である。

この辺が、位置関係的に本殿等があったと思われる場所。建物は戦争終結時に日本軍の手により爆破され、現在残っているのは石段や手水舎の跡等だけである。時代の大きな渦の中で命を落とした多くの人々の事等想いながら、小さく手を合わせて祈りを捧げた。只安らかに。

帰り道は行きよりは楽であったが、ぬかるみで靴が泥だらけになるわで、中々大変であった。元の二つ置き石があるポイントまで戻れた際に、出会ったシンガポール人達と握手をして帰宅の途についた。歴史を実地体験したひと時であった。

最後に、今日のマイベストフォト。この光の具合など、勿論一切照明など使っていない。光に照らされる四葉のクローバーのような形の葉が、一隅を照らすように、ささやかな幸運を祝福するようにそこにあったのが美しかった。何度来てもこう言った違う表情を見せるのが、自然の素晴らしい所である。

今はシンガポール人と日本人が昭南神社跡を一緒に探検して握手出来る時代になった。この平和を大切にしたいものである。多民族が平和に住める環境があってこそ、筆者のようなガイジンが、シンガポールで相場の仕事が出来るのである。色々な人や事のお陰様でもって、相場の仕事をしているのだと言う事を再確認したい。


(注1)出所は以下。シンガポールに住んでいる等でないと中々興味を持って読めないかも知れないが、歴史、経済、教育制度など色々なトピックから学者の趣味的な分析や解説が為されており、シンガポールに興味があるかたにとっては中々楽しめるので紹介しておく。

2011年6月24日金曜日

アナリストJobの変遷その4:バリュエーション至上主義から中小型株ブーム、アクティビストブーム等によるヘッジファンドの台頭へ。

さて、今までの所で、DCFによる企業価値評価の問題点を肴にしながら、大量にバイサイドアナリストを抱えた大手ロングオンリーがどのようにして退潮して行き得るのかについて雑多に書いていったように思う。

これで次の議論を進める準備が整ったので、次は題名の通り。バリュエーション至上主義から、中小型株ブーム、アクティビストブーム、またこれらの運用戦略を行う器となったヘッジファンドの台頭と言ったトピックである。

90年代の終盤に黎明期を迎え、2000年代の前半〜中頃までにかけて大手機関投資家が煮詰まり感を見せる中で台頭し、アナリスト人材の受け皿にもなったのが、中小型株ブーム、アクティビストブーム(後述するがこれも広義では中小型株ブームの一つと見なせる)であり、これらの運用スタイルを機動的に行う事が出来たヘッジファンドである(アクティビストファンドも成功報酬等のフィー体系等考えるとヘッジファンドの一つと考えて良いと思う)。今回からはこれらのトピックについて徒然に書いて行こうと思う。

さて、元々は中小型株と言うのは、位置づけとしてマイナーな立場にあった。
理由としては、兆円単位の資金を運用する大手の機関投資家では、時価総額が数百億円あるいはそれ以下しかないような銘柄を買う事は出来なかったからである。このため、アナリストが中小型株まで調べるニーズと言うのは、年金基金からの受託を中心としたロングオンリーの運用では余り無かったのである。

この点について理解するために、簡単な例を挙げて説明する。
例として、主に年金基金等から受託した1兆円の日本株ファンドを運用する事を考えてみる。
実際には等金額でポートフォリオを組むと言う事はないのだが、ここでは話の単純化のために、1兆円を等金額で200銘柄に分散したポートフォリオを組むとする。この場合、1銘柄につき50億円の株式を買い付けないといけない事が分かる。

ここで投資先である上場企業側からこの事について考えてみる。時価総額が100億円の会社を50億円買ったら、過半保有する事になってしまう。議決権の過半を持ったらそれは会社を経営すると言う事になるし、売却しようと思ってもマーケットインパクトをかけずに短期間で売却するのは先ず無理になる。純粋なポートフォリオ運用でこれは非現実的である。半年とか1年とかの単位で売買出来ないと困る訳であるし、そう言う意味で経営にまでコミットしなければならない状況と言うのも困る訳である。

時価総額が1000億円の会社でも50億円買えば発行済み株式数の5%を保有する事になり、大量保有報告の義務が発生する。世間に自らのカードの手の内を晒す事になってしまうので、相当自信がある時で無い限りはこれは避けたい。

そんなこんなの事情を考えると、いわゆる大手のロングオンリーの機関投資家の最低投資金額の目安は(運用資産額や運用スタイル、運用会社によって多少の違いはあっただろうが)概ね1000億円以上、と言った所が標準だったのである。つまりバイサイドアナリストの調査ユニバースも時価総額1000億円以上と言うのが普通であった。実際には時価総額2000-3000億円程度でも「サイズとしては小さい」「若手に調べさせておこうか」と言う扱いだったように思う。

また、ベンチマークをTopixとして、これにアウトパフォームすると言ったゴール設定のファンドがロングオンリーでは過半であると言う事情もある。つまり、Topixで上位の比率を占めている、銀行、自動車、電機等のセクターで主要な部分を占める銘柄においていかに上手くやるかと言うのが、対Topixでの敗者のゲームをやらないといけない大手ロングオンリーの宿命でもある。

そう言う事もあるので、主にはトヨタにキャノンにソニーに新日鉄に花王にファナックに、と言った顔ぶれを調べるのが大手ロングオンリーの仕事であり、大手バイサイドのアナリストの仕事であり、そう言ったバイサイドにレポートを書いたり売買手数料を貰ったりする証券会社の仕事でもあった、と言って良いであろう。

そんな訳で、元々は中小型株の調査についてはマイナーな位置づけであり、せいぜい株式分析を学ぶための題材として手頃なサイズの中小型株を新卒の若手に調べさせて、OJTの研修代わりにする、と言った位置づけだったのである。

これは運用会社だけでなくセルサイドでも同様であった。ロングオンリーの運用会社側で中小型株調査のニーズが無かったと言う事は、運用会社にサービスを提供して手数料を稼ぐ側であるセルサイドの証券会社側でもニーズは余り無かったと言う事である。セルサイドアナリストにおいても中小型株と言うのはマイナーな位置づけで、地位の高いものでは無かったのである(ちなみに、中小型株ブームの中で一時期中小型株アナリストの地位は高まったが、今は再度地位が下がって元に戻ったように思う。あるいは売買手数料等の低下に伴い、証券会社側で中小型株のアナリストにリソースを割ける余裕が無くなっているとも言える)。



しかし、上記のような状況「だからこそ」、中小型株に注目する人々が出て来た。

証券会社も大手機関投資家も調べていないと言う事は、そこを調べればアルファが取れるのではなかろうか。市場に織り込まれていない情報があるのではなかろうか。割安に放置されたままの優良企業が沢山あるのではなかろうか。また、中小型株アノマリー(長期で見れば大型株より中小型株の方がリスク調整後でもリターンが良いと言うファイナンスの研究)も狙えるのではないか。ここで稼ぐ事が出来るのではないか。ヘッジファンドとして小さめの資金で機動的に動けば、上述の大手機関投資家のような問題も少なくて済むだろう。

こう言った発想で中小型株に取り組むヘッジファンドが出て来たのである。狭い世間過ぎるので実名は余り挙げないでおくが、ニュース等でも紹介された一般的な情報から有名な所では、100億円部長を輩出したT投資顧問等は、一般のかたでも聞いた事のある所と思う。

また、当時アクティビストファンドをやりたかった人間、例えば村上ファンドの村上氏等にとっては、中小型株の方が好都合であった。

つまりトヨタだのNTTだのに経営改善を促せる程の株を持とうと思ったら、単位が1銘柄で数千億円とか1兆円のオーダーになってしまう。独立して最初にファンドを始める時のサイズは、数十億円〜良くても数百億円位のサイズである。

そう言った限られた資金で、分散効果がある程度効いて来る最低でも10銘柄位には分散投資して(ものの研究では、確か15-20銘柄程度でポートフォリオ分散効果の8割がたは実現出来、余り銘柄を分散し過ぎるとメンテの手間等ばかりかかるので良くない、と言った調査がある)、かつ経営陣に経営改善を促せる程度の発行済株式総数に対する比率を保有しようとなると、中小型株がターゲットになるのである。時価総額で例えば300億円〜大きくて500億円以下位の銘柄で、1銘柄辺り発行済の5-20%の間位で10-30億円位の保有で、10銘柄保有して200-300億円程度のAUM(受託資産)を運用する、この位のイメージ感である。

更には、上記の通り証券会社のリサーチも入っておらず、IRや株主対応、財務政策等も上場企業としてはだいぶ素朴過ぎるような会社、改善余地のある会社が中小型株の分野には多数あった点も好都合であった。村上ファンドが当初昭栄等の銘柄でアクティビスト活動を行って居たのにはこう言った背景がある訳である。

時期的には、1990年代の後半位が、上記のような流れが起きる「黎明期」であった。実際には運用金額も小さく、知名度もなく、「こう言う分野をやればリターンが取れるんじゃないかな」と言った思いつき〜少額で始めてみた、と言う段階である。

そして2000年代に入り、大手ロングオンリー等がITバブルの崩壊、年金基金の代行返上に伴う大型株の集中売りや委託運用解約等に苦しむ一方で、日銀は大規模な金融緩和を継続し、世間にマネーが大量に供給される中で、上述したヘッジファンドやアクティビストファンドが台頭する舞台が整えられたのである。

どう言う事かと言えば、大手ロングオンリーが没落していく中で機動的に動けるヘッジファンドや、日本の株式持ち合い構造等で立ち後れたコーポレートガバナンスを改善する事でロングオンリーでは取れないリターンを取ってみせる!等と言うマーケティングをするアクティビストファンドに投資しようと言う人間が出て来る状況が整って行ったと言う事である。また日銀のゼロ金利政策に代表される強烈な金融緩和の継続が、後に中小型株と言ったマネー資本主義の「末しょう神経」「毛細血管」にまでマネーが大量に行き届く下地を作ったと言う事である。

村上ファンドも、ホリエモンも、100億円部長も、マクロ的な視点で見ればこう言った背景の中で出て来る事になったと言う訳である。

そして上記のような状況変化は、筆者のような無名の末席アナリストの雇用環境にも確実に影響して、変化をもたらした。

筆者の体験談等も含めた詳細の話は、またの機会にでも。

2011年6月18日土曜日

やば、ちょっと期待しちゃうかも:ファイナルファンタジー13-2

(出所:スクウェアエニックス)

今日は閑話休題で、題名の件。

E3でファイナルファンタジー13-2の試遊、新しいトレーラーの公開等があったようだ。
その中で、以下のインタビュー記事が目に留まった。


日本語訳しても良いのだが面倒臭いので割愛するとして、ポイントとしては、「スクエニ側がFF13の問題点を自覚・認識しており、それをことごとく改善する意思が見られる」と言う点が注目であった。

下記のエントリで筆者も指摘している、「一本道過ぎ」「町の中での探索とか、笑いとか閑話休題的エピソードで物語に緩急を付けるとかキャラの描き込みをする、と言った要素が不足」「強引で陳腐臭い回想ストーリーを重視し過ぎで”ユーザの視点”を考慮していない」等のユーザ側の感じている問題を、概ね上記インタビュー記事ではスクエニ側として認識しており改善している旨が書かれていたように思う。

ファイナルファンタジー13とゲーム業界の今後


しかし気になるのが、この幹部達が、ちゃんと神話論とかシナリオライティングをきっちり分かってゲームシステムやシナリオを考えているのかどうかである。単にユーザの声に右往左往しているだけにも見える。そう言う事では高品質の物語は作れない。ハリウッドなんかでは、ちゃんと体系的にシナリオの善し悪しを査定出来るような形で神話論が整理されている。例えば以下の書籍を参照。

こういった体系に則って、シナリオを添削する事がハリウッドでは為されている訳である。筆者が気になるのは、スクエニが、ちゃんとシステムとして、こういった学問分野まで確立されている事を活用して、「シナリオ・ストーリーをふるいにかけて、吟味して、優良な内容のゲームを安定的に作れる体制」が構築されているのか否かと言う点である。

FF10以降の作品を見ると、FF12に関してはシナリオライターが降板したり色々あったようだが話の内容が尻切れトンボの感があったし、FF13を見るとあれはハリウッド映画並みの予算をかけて作るに耐えるような品質の脚本やシナリオでは全くなかった(心情描写等も幼稚で、厨二の世迷い言みたいなクオリティであった)。

思うに、恐らく一部の上層部・プロデューサーの属人依存だったり、上層部が作ったつまらない品質のストーリーをきちんと社内で却下出来るようなクオリティチェックの体制が確立されていないのではないか、短期業績を作るために発売日ありきで運営しているのではないか、と言う面が否めない訳である。坂口博信氏が直接関与していた頃のスクウェアは上場企業ではなかったので発売日等も延期も辞さずで、かつ坂口氏の矜持と属人的センスでもって納得が行くまで作り込みが為され、名作が生産されていたのであろう。これは坂口氏がスクエニと距離を取るのとファイナルファンタジーシリーズの質が劣化するのは概ね時期が一致している事から何となしに推測できる。

そして、氏が去った後も企業体として品質を維持向上する手だてがなされないまま属人依存が継続していて、シナリオや音楽制作に関与していた主要メンバーが次々スクエニを退職している事を考えると、スクエニの人材レベルが劣化しているために良い作品が出ない、と言った状況になっているのではないか。こう言った懸念を外部から見ると抱いてしまうのである。

ファイナルファンタジー13-2は、こういった懸念を払拭出来るかどうかの試金石となる作品のように思う。これで払拭出来ないと、ヴェルサス等その後の作品の売れ行きにも影響が出るだろう。こう言う観点から注目したいと思う。

2011年6月10日金曜日

○アナリストJobの変遷 その3 DCFの限界について続き 〜限界リターンの逓減、縦割り大規模運用会社の問題点等徒然に〜

さて、たまにはアレだ、真面目な話を更新しよう。
今回は、題名の件について。

前回で、DCF至上主義の終焉と、その背景としてDCFには実務上の問題がある事、特に「変数が多過ぎる」事についての話を書いた。今回はこれの続きである。そうは言っても、基本的にDCFの問題点とは「変数が多過ぎる」と言う事に尽きると筆者は考えて居る。前回述べた「DCFは説明のツールとしては良いがリターンを打ち抜くツールとしてはファジーだ」と言った事もこれに派生して導かれる結論であるし、今回これから述べるのはそれから派生的に生じて来る問題である。


2、「作業の投入量に対して、得られるリターンが見合わない」と言った状況になりがち。

ああ、殊勝にも仕事の外でパワポなどいぢってしまった 汗。
さて、まずはスライドで事の概略を示しておく。これを踏まえて以下の説明を続けたい。

「変数が多い」ので、DCFを真面目に詰めようとなると、時間や人手(しかもソコソコ人件費のかかる専門職の人手)がかかりがちである。その一方で、前回述べた通り、「DCFは説明のツールとしては良いがリターンを打ち抜くツールとしてはファジー」なので、時間や人件費等の資源を投入する割に相場から得られる超過リターンは少ない。こう言った事になりがちなのである。この点については、筆者が以前働いて居た、外資系グローバルバイサイドでの経験を具体例として述べておきたい。

筆者が最初に入った外資系グローバル運用会社では、壮大な実験が行われていた。グローバルに100名以上のセクターアナリストを配置して、DCFに類似のキャッシュフロー予測を現在割引価値に引き直す類いの社内オリジナルの財務モデルを、グローバルに全く同一のテンプレートで作成させ、ここから得られた数値をグローバルに比較して、グローバルに割高割安を比較して、そこから超過リターンを得る、と言った試みが為されていた。また、このDCF類似のキャッシュフロー予測のモデル開発のために、クオンツやエコノミストの類いまで配置されていた。

アナリストは、前回述べたようなファイナンスの専門知識が必要である。特にのれんの処理とかリース会計回りとか退職給付債務をどうするかとか細かい所までキチンとやって、更には担当業種に対する一定以上の知識水準があり、取材やレポート書きもきちんと出来ると言う水準を求めるとなると、応分にお金を払って雇わないといけない。更にはグローバルに英語でやり取りの出来る必要もあるので人件費も一段上がる。そんな訳で、一流MBAやセルサイドから相当の人件費を払って100名以上リサーチ人員を配置していた。また、財務モデルの細かい所まで詰めるために、新卒のジュニアアナリストまで上司に付けていた(これの一員として筆者は新卒でこのチームに加わった訳である)。バイサイドでこれは、今考えるとちょっとあまりにコストのかけ過ぎであった(注1)。

また、今考えると、たかがDCFで、それをデータベースにぶちこんでグローバル比較出来るようなインフラを作るのにクオンツが必要だったか疑問だが、クオンツも雇われていた。世界中のアナリストが作ったDCFをグローバルで共有出来るIT回りのインフラを作ったり、DCFのモデルのテンプレート自体を作成するのが仕事だった。また、資本コストの推定の所等でそれなりに理屈の通ったロジックを考える事等も彼らの仕事でもあったように記憶している(注2)。

更には、グローバルでDCFを作成して横比較するとなると、投資する各国のターミナルグロースについてもきちんとした推定を持たないといけない。ここはエコノミストがやっていた。ターミナルグロースの推定を、概ね各国の潜在GDP成長率の推定と言う問いに置き換えて、マクロ経済の状況なんかからここの予測を行っていた。主に欧米の一流大学の経済学部で修士や博士を取ったような人々が、こう言う議論を延々していた。

しかし、上記のような学歴も知識水準も人件費も高い人々が日夜大量の時間や手間を割いて出て来るアウトプットが、前回書いたような「DCFは説明のツールとしては良いがリターンを打ち抜くツールとしてはファジーなもの」でしかなかったのである。

説明力と言うか顧客に対する説得力はあった。上記のようなゴージャスラインナップで、グローバルに統一されたフレームワークで、アナリスト、クオンツ、ファンマネ、エコノミスト等がコラボレートして、アルファが出るんです、と言った説明を、これまたMBA出のお偉いなんかが美麗なプレゼンでロジカルに説明すると、そのグローバル運用会社のブランドネームとも相まって、騙された、いや失礼、プレゼンに納得して投資する顧客が次々に出て来たのである。AUMは一時期もの凄く大きい額になっていて、そこから得られるマネジメントフィーは、上記に書いたような教育程度の高いお偉い様がたのお給料や、筆者のようなちんちくりんの研修費用として費やされて行った。

しかし、筆者の居た運用会社のリターンは全体として決して芳しい物にはならなかった。1−2年であれば「たまたまリターンが冴えなかっただけだ、我々のプロセス、陣容は完璧だ」と説明していれば良いが、3年ダメだと顧客からも見放される。チームは瓦解へと向かっていった。そして筆者も、(新卒直ぐで筆者の人件費も大した事はなかったし社内での立ち位置も以前書いた調査部の上の人等に適度に守られていたのでそんなに悪くはなかったが)転職を考えるようになった。崩壊に向かい、ニューヨークから首切りお偉が面談のために東京に訪問するようになり、ストレス等で周囲の病欠等が段々増えるみたいな後ろ向きな雰囲気漂う組織に長々居るのは中々にしんどいものだし、一人、また一人と解雇されたり前向きそうな職場に転職したりするのを見ているのはそれなりにテンションが落ちるものだ。そしてその何年か後に実際にチームは瓦解した。

つまりどう言う事なのかと言うと、この商売をやる上では、理論的にMBAや経済の修士博士課程で正しいとされている事を追求する以前に、「追加的一単位の人件費なり時間なりの資源投入に対して、追加的なリターンがどの程度相場から引き出せるのか」と言う事に敏感でなくてはならない、と言う事である。マニアックにやれば良い訳ではないし、知識があれば良い訳ではないし、精緻にやれば良いと言う訳ではないのである。ビジネスである以上、コストベネフィットを考えながら、「これに時間なり人手を追加的に使う事で、相場から引き出せるリターンがどの程度改善するか」を念頭に置きながら資源投入を行う必要があるのである(注3)。

前回書いた通り、DCFが全くムダな訳ではない。DCFを作成する過程でその業種に詳しくなれる、企業の収益費用の構造も見えて来る、バランスシートやキャッシュの使い道をどうするかが株式価値にどう影響するかについて理解を深める事が出来る。非常にファジーなレンジを取るとは言え、大まかに今の株価水準が多くの投資家にとって高いと思われる水準にあるのか安いと考えられる水準にあるのか等も分かる。こう言った事に対する理解は、ファンダメンタルベースで株式投資をするのであればあって悪くないFeelであり、ある程度までは便益もあるように思う。

しかし、筆者の上記の極端な例でも分かるように、ある一定の線を越えると、かける手間やコストに対してリターンが見合わなくなるのである。

アナリストに極めて精緻なモデルを作らせた所で、前回の通り変数をちょっといじれば結果は大いに変わり得るファジーなものでしかない。

クオンツに資本コストの推定などさせた所で、これは相場付きやグローバルに巡っているマネーやリスクアペタイト(つまり市場参加者の気分、感情)の多少で変動するしニュートン力学のようにバチッと一意に計算出来る類いのものではない。

エコノミストに潜在GDP成長率を膨大な計量経済学のモデルなんぞで計算させた所でだから何なのか。日銀や各国の中央銀行が公に言っている「うちの国の潜在成長率はまあ日本じゃ0.5%とか1%そこら(2-3%そこらin他の先進国、数%中盤〜後半in新興国)じゃないですか」等と言った結果を使う事と比較してどれほどの超過リターンが期待出来るのか。別にエコノミスト自体は個人としては優秀だと思ったし、悪い事をしている訳でなく真面目に職務に取り組んでいたと思うが、その最後のアウトプット先がDCFのターミナルグロースの推定と言うのでは、どれだけの付加価値があるのか筆者の感覚としては疑問であった。

更には、こうやって多数の分野、多数の部署の人間がDCF(あるいはその類似モデル)の作成に関わる事によって、「部署間で連絡したり情報共有したりする事に対するコストが上昇していく(=端的にはテレカン等による会議が頻繁に必要になる等)」「誰の責任で誰の投資判断を反映して作られたものなのか分からなくなる」と言った所があったのも問題であった。アナリストのキャッシュフロー予測やクオンツの資本コスト推定、エコノミストのターミナルグロース推定等が、まるで「個々の酒は非常に高価なんだが全体の味等考えずに無造作にシェーカーに突っ込まれてシェイクされて結果として不味いカクテルになる的な具合」に混ざり合い、微妙に香ばしいドドメ色の結果がグラスに注がれる事になる訳である。

そして、パフォーマンスが悪化すると、アナリスト、クオンツ、エコノミスト、実際にポートを組んでいるポートフォリオマネジャーの間で責任のなすり付けあい合戦が社内で始まり、どこの誰をリストラするかと言った話になり、ニューヨークから東京オフィスにも偉い人が来て面談(要するに誰を切るか決める面談だ)等するようになり、社内は険悪な雰囲気に包まれるのである。でもって、険悪な雰囲気が更に運用に集中出来ない環境を醸成し、パフォーマンスの悪化に繋がるのである(注4)。

そんなこんなで、「作業の投入量に対して、得られるリターンが見合わない」と言った状況になりがちなのである。冒頭のスライドなど見ながら、適度に参考にして頂けると幸いである。

何かアレだな、運用ビジネスの組織論みたいな話になって来たな・・・業界の中に居ると全く新味のない内容だと思われるのだが、まあそこはご容赦頂ければ幸いである。こういうのはアカデミックさのかけらもないが、実務の現場に居るから書ける事と思うので、学生さんや業界外からこの商売に参入されたいかた等、外部のかたに微力でも参考になれば幸いである。


(以下注釈)

(注1)しかしまあ、このグローバル運用会社のコスト配分の間違いのお陰で筆者はこの業界に入る事が出来たので感謝はしている。以前にTwitterで、「国の移民等でドアがいつまでも開いている訳ではない」と言った事を書いたが、こと仕事についても同様である。業界に潜り込んだりするのも、いつもドアが開いている訳ではない。今回のブログで書いたような「グローバルバイサイドのジュニアアナリスト」と言った、キャリアの最初の学習期間として持ってこいのようなポジションが現在も新卒、しかもMBA卒でもなく大学時代にファイナンス等勉強していた訳でもない素人の若者にキャラ採用で開放されているのかと言うと、中々難しいのではないかと思う。アノマリーはいつまでも続く訳ではないし、道端に1万円札はいつまでも落ちている訳ではない。道端に1万円札が落ちていたら、拾えるうちに早く拾うのがいい。

(注2)国家間の資本コストについては、以下の書籍に詳しく書いてある。先進国の株式リスクプレミアムは3%〜5%位だかで過去推移してました云々等。「趣味的な研究です」と言ってしまえばそこまでだが、よく調べたなあと思う。実務に忙殺されているとまずこう言う風に「リターンに余り繋がらない事柄で、データを大量に渉猟して論文を書く」と言う事は出来ないので、有り難いように思う。こういうのは研究者の仕事と思う。

証券市場の真実―101年間の目撃録 [単行本]


(注3)この辺に対するセンスの有無と言うのは、プロフェッショナルとしての水準感を測る上で結構参考になる。この辺に対する理解がないと、枝葉末節に入り込み過ぎていて相場の株価と向き合う気概の感じられないバイサイドアナリスト(セルサイドアナリストは知識量を売りにするのもアリだとは思う)、細かい数学/統計知識の増大に余念がないがこの人は大学のゼミで研究でもしていたいのであって相場からリターンを引き出す事には興味がないんじゃないかと傍から見ると思ってしまうクオンツ等、「実戦で余り機能しない感じの専門家」がぼちぼち生産される事になる訳である。とは言え大手であれば、いつまで続くかは筆者の知る所でも述べる所でもないがこう言った人材を抱えられるのかなあとも思うし、顧客の前で喋らせたりすれば何となく説得力が出たりする側面もある訳で、全く価値がないと言う訳でもないのかなとも思う。

一方で、規模の小さい運用会社で働く者やヘッジファンドで仕事をしていてかつそれなりに機能している人々は、概してこの辺りに対する実務家としての現実的な感覚があるように思う。

そして、筆者が他の所で、ヘッジファンドにシフトするなら遅くなり過ぎない方が良い、と言うのもこの辺りが関係している。大手の運用会社とヘッジファンドでは仕事の仕方や求められる資質が結構異なるし、セルサイドアナリスト等とヘッジファンドでも同様の面があるように思われるのである。

(注4)こう言った経験があるので、筆者は運用商売におけるトヨタ式かんばん方式流れ作業的な縦割り分業には懐疑的であり、ハーレーダビッドソン、ガンダムやエヴァンゲリオンのパイロット等の類いの「セル生産」が良いのではと考えるに至った面はある。プロセスに裁量を与える一方で結果責任も明確にし、運用やリサーチの工程、結果としてのアウトプットであるパフォーマンスの権限責任の所在を個人に帰属させる方式の方が、この商売では馴染むように思うのである。